【共に学ぶ】 外国につながる子どもが抱く不安

 昨年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、あらためてダイバーシティという言葉が至る所で叫ばれている。しかし、今の日本の社会は本当にダイバーシティに向かっているのだろうか。特に学校は、さまざまな人たちが一緒に学べる場になっているだろうか。日本で近代学校教育が始まってから150年を迎える今年、「共に学ぶ」というキーワードから、みんなが一緒に学べる学校へ向けた、これからの学校や教師の役割を考える。シリーズ第1回は、外国にルーツのある子どもたちが抱く不安に迫る。

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日本で感じたマイクロアグレッション

 「電車に乗ると、周りの人がさっと逃げるような感じがする。日本人から話し掛けられることはほとんどなくて、友達になるのは難しいなって」

 東京都立一橋高校の定時制に通うギミレ・プラサムサさんは、日本にやってきた直後のことをそう振り返る。日本の飲食店で働く両親から呼び寄せられ、ネパールから日本にやってきたのは2017年の夏ごろ。久しぶりに両親と暮らせるのはうれしかった半面、ネパールの友達とも離れ、日本語もできず、心の中で不安は大きくなるばかりだったという。

日本での自身の体験を基に、マイクロアグレッションについて探究したギミレさん

 その後、努力して日本語を一から勉強し、姉が通っていた一橋高校定時制に入学。「日本は体育や学校行事がたくさんあって楽しい。私は体を動かすのが好きなので、バスケットボールが学校でできるのはうれしかった。でも英語の授業は日本語も使うから、うまくならないと思う。ネパールでは、英語の授業中はネパール語を使うのが禁止されていた」とギミレさん。今ではファーストフード店でアルバイトもしており、英語しか話せない人が店に来たときなどは、とても頼りにされているそうだ。

 そんなギミレさんは、探究学習の一環で、日常生活の中で見られるマイノリティーに対するマジョリティーの差別「マイクロアグレッション」を取り上げることにした。来日した直後に持った違和感を、同級生や教師に勇気を出して打ち明けた。ギミレさんの探究学習を支援した同校の北島優教諭は「マイクロアグレッションという言葉自体は知っていたが、自分自身も無意識にやっていることまでは自覚していなかった。ギミレさんが感じている嫌な思いに気付かされた」と話す。

 日本で暮らすようになってから、ギミレさんには新しい趣味が生まれた。日本に来ている外国人に話し掛け、コインを交換する。そうやっていろいろな国のコインを少しずつ集めているのだ。現在4年生のギミレさんは、4月から大学の外国語学部に通う。将来はさまざまな国に住みながら、その国の人とコミュニケーションを取る仕事に就きたいと話す。そう考えるようになったのも、異国の地である日本で暮らすことで、たくさんの気付きを得られたからだという。

 外国にルーツのある子どもたちや、周囲の日本人に向けて、ギミレさんは次のようなアドバイスを送る。

 「日本では、日本語を頑張れば何でもできる。周りの人も、日本語が分からずに困っているようだったら『大丈夫?』と声を掛けて、友達になってほしい。話したい気持ちがあれば、お互いに話してみて」

日本人も「変容」しなければ

 出入国在留管理庁の集計によると、日本における在留外国人は21年6月末時点で282万3565人。新型コロナウイルスの影響で微減傾向にあるものの、ここ10年で約80万人増加した。学校だけでなく、日常生活や職場で外国人と一緒に過ごしたり、働いたりする機会は今後確実に増えていく。

日本における在留外国人の推移(出入国在留管理庁より)

 日本における多文化共生教育について研究する金侖貞(キム・ユンジョン)東京都立大学准教授は、外国人人口が増加していく中で、マジョリティーである日本人が、日本社会に置かれている外国人の状況を理解し、変容する必要があると指摘する。

 例えば、日本の社会では、日本語が話せるかどうかでさまざまな差が生まれる。しかし、多くの日本人は日本語を母語として当たり前のように話しているため、日本語がうまく理解できない人の気持ちを想像しにくい。日本語が話せないというだけで、情報へのアクセスや就職、生活など、さまざまな面で不利になる。それを外国人の問題としてではなく、自分たちの問題でもあると認識を変えなければ、マイクロアグレッションのような無自覚な差別をしていることにも気付けない。

 「マジョリティーの中にマイノリティーを包摂するのではなく、受け入れられる側、受け入れる側の双方が努力して社会を統合させていく考えに転換していくべきだ。『外国人』の問題ではなく、身近にいる『この人』が困っていることだと思えるかどうか。その積み重ねによって少しずつ社会を変えていくしかない」と金准教授は話す。

少しの工夫で誰も取り残さない授業はできる

 主に外国にルーツのある子どもたちの日本語指導をする国際教室を長年担当している菊池聡教諭は、今年度から異動した横浜市泉区にある市立上飯田小学校で、ある挑戦を始めている。ベトナムからの難民が多く居住した県営上飯田いちょう団地の中にあり、児童の約半数が外国にルーツのある子どもたちという市立いちょう小学校で勤務し、その後、同校と市立飯田北小学校が統合した市立飯田北いちょう小学校と合わせて、10年以上の長きにわたって地域の多文化共生社会の支援に関わってきた菊池教諭。一度は保土ヶ谷区にある小学校に異動したが、再び上飯田小の国際教室担当として、飯田北いちょう小と同じ中学校区に戻ってきた。

長年、日本語指導や国際理解教育に取り組んできた菊池教諭(2019年2月撮影)

 「同じ中学校区にあっても、地域性や多文化共生の取り組みは両校でかなり違いがある」と菊池教諭。上飯田小にも外国にルーツのある子どもは在籍しているが、飯田北いちょう小に比べれば数は少ない。飯田北いちょう小で培ってきたことをベースに、上飯田小に合った多文化共生の学校をつくる。それが、菊池教諭が取り組むミッションだ。

 手始めに校内研修で自分の日本語指導の授業を同僚の教師に見てもらい、日本における外国人が置かれている現状などについて解説した。すると早速、4年生の社会科の授業で変化が起きた。自動車産業について学習する単元で、教科書に「自動車関連工場」という言葉が出てくる。担任の教師は「自動車関連工場」と黒板に書くと、「関連」に振り仮名を振り「この意味が分かる?」と子どもたちに問い掛けたのだ。今までは、「関連」の読み方も意味も知っていることが前提で、授業がどんどん進んでいた場面。その教師はほんの少し立ち止まって、子どもたちの声を拾いながら、タイヤやハンドルなど、自動車を構成する部品の絵を「関連」の周辺に足していった。

 「これなら、日本語が不慣れな子どもも『そういうことか!』と言葉として理解できる。きっと日本の子どもの中にも分からなかった子がいたはずで、限られた授業時間の中でも、工夫次第で一人一人に寄り沿った指導はできる」と菊池教諭は手応えを感じている。

 外国にルーツのある子どもにとって分かりやすい授業は、いろいろな子どもにとっても分かりやすい。授業への意識を少し変えることで、勉強が苦手な子も取り残さない授業ができる。また、日本の子が外国にルーツのある子に日本語を教えてあげたり、外国にルーツのある子が得意なことで活躍できる場を学校の中に作り出したりすることで、子どもたちは自然とお互いのことを理解し合い、対等な関係性を築けるようになるという。

 今後、外国人人口が増えることは間違いない。菊池教諭は、次世代の教員の育成にも力を注ぐ。上飯田小には今年度から、日本語教師や小学校の教師を志望する大学生のボランティアを受け入れるようになった。「日本語指導を担当していても、していなくても、これからは外国にルーツのある子のアイデンティティーを理解し、彼らの母語や文化を大切にしたり、工夫しながら適切な支援ができたりする『多文化教員』を育てないといけない」と力を込める。

 「目指すべきはオリンピックのような国籍によって分ける社会ではなくて、いろいろな国籍の人が、日本のために力になりたい、日本人と一緒に頑張りたいと思ってくれる、ラグビーのワールドカップのような社会なのではないか」
 そう投げ掛ける。

一人一人の子どもの背景を理解して

 文科省が行った調査によると、公立学校における日本語指導の必要な子どもは、2018年までの10年間で1.5倍の5万1126人に上っており、外国籍だけでなく日本国籍の子どもも増えている。さらに彼らの母語も多言語化しており、日本語指導が必要な子どもが在籍している市区町村はすでに過半数を占めるなど、彼らへの支援はもはや日本全体の課題となっている。

文科省「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成30年度)」より

 文科省の外国人児童生徒への施策に関する有識者会議の委員も務めているオチャンテ・村井・ロサ・メルセデス・桃山学院教育大学准教授は、1991年にペルーから三重県に移住した日系3世だ。有識者会議では、日本で母語支援員などの外国にルーツのある子どもの学びに関わってきた経験や、当事者の視点から意見を述べてきた。

 そんなオチャンテ准教授が強調するのは、「個々の子どもの背景を理解すること」だ。「外国につながる子どもたちの中には、日本に来たくなかったという子もいれば、日本で生まれ、日本しか知らない2世の子もいる。日本語能力も違えば、家族の状況も違う。そうした子ども一人一人の背景を理解して、支援していく意識を持つことが必要だ」と指摘。その姿勢は、教師だけでなく学校や地域全体にも求められていると話す。

 オチャンテ准教授自身も、15歳で日本に来てから、南米音楽のバンドに参加するなどして、ペルー人としてのアイデンティティーをより強く意識するようになった。しかし時折ペルーに戻ってみると、やはり現地のペルー人とはどこか違うとも感じたという。「私はそのうち自分が日本人であるか、ペルー人であるかはこだわらなくなったが、日本で生まれた外国籍の子は『自分は日本人だ』と思っていても、国籍や在留資格を理由にやりたい仕事に就けないなどして、自分が何人なのかと悩むこともある。そんなときに、周りの支えが必要になる」と話す。

 日本語教育推進法などによって、外国にルーツのある子どもたちへの日本語指導の体制は少しずつであるが充実しつつある。その一方で、彼らのアイデンティティーや母語の継承に関する支援はこれからの課題だ。オチャンテ准教授は「小さい頃はマイノリティーであることで、自分の母語を恥ずかしく思ってしまいがちで、大人になってその価値に気付くこともある。子どものうちから家庭や学校で、その子が母語を話すことを誇りに思えるような取り組みがあれば、自信にもなる」と強調。これからの学校の姿をこう語った。

 「たとえ日本語が分からなくても、学校が楽しくて居心地のいい場所であれば、学校をやめたり、嫌いになったりしない。それは、外国につながる子どもたちだけではなく、あらゆる子どもたちに言える。担任だけでなく、さまざまな教職員が子ども一人一人を支える学校になればいい」

 本企画「共に学ぶ」では毎回さまざまな角度から、学びから取り残されてしまっているかもしれない当事者の視点に立って見える学校の風景を描写するとともに、問題提起していきます。また「共に学ぶ未来」について、皆さまと一緒に考える場をつくっていきます。本紙電子版の特設ページから、ご意見・ご感想を募集しています。
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