東日本大震災から11年 避難した家族が始めた防災教育

 今日3月11日、東日本大震災の発生から11年を迎えた。震災を直接知らない子どもたちに、大人は何を伝えられるのだろうか。福島県で被災し、京都市に避難してきた星紀孝さん、千春さん夫婦は、同市伏見区内で飲食店を経営する傍ら、地域の商店街や寺社と協力して、防災について学ぶイベント「Kyoto学防災(まなぼうさい)」を3月19・20日に初めて開催する。千春さんは「子どもたちが集まり、地域のつながりの中で防災や減災を考えるきっかけになれば」と思いを込める。

福島から京都へ自主避難を決断

 東日本大震災が発生した当時、星さん夫婦は福島県郡山市で暮らしていた。2人とも福島県で生まれ育ち、長男はもうすぐ1歳になるころだった。東京電力福島第一原子力発電所の事故で沿岸部は避難指示区域になっていたものの、内陸にある郡山市は対象外。しかし、放射能の影響が分からない中で、子どもたちは外に出て遊ぶこともできずにいた。その状況に星さん一家は、子どものことを考えて自主避難をすることを決意。早くから福島県の避難者を受け入れていた京都市の公営住宅に移り住み、親戚も知り合いもいない土地で新たな生活を始めた。

 千春さんは故郷を離れるという苦渋の決断をした理由について、「小学校では長袖・長ズボン、プールも外遊びもできない。これから歩き出す長男のことを考えると、選択肢が多い方がいいのかもしれないと考えた。福島県内でも、放射能の影響をどう受け止めるかで、人によってすごく温度差があった」と振り返る。そのときの状況は、新型コロナウイルスのワクチン接種を巡り、さまざまな考えが飛び交っている今と似ていたという。

 その後、星さん夫婦には女の子と男の子が生まれ、長男が小学校に入学するのを機に、公営住宅を引っ越した。コロナ禍になる前は、年に1度は福島県に帰省し、親戚と過ごしていた。親戚と会うことを楽しみにしている子どもたちにはいつも、福島にルーツがあることを伝えている。テレビでときどき福島のことが出ると、子どもたちは「福島が映っているよ」と喜んで教えてくれるようになった。

 千春さんは最近、小学5年生になった長男から、こんなことを言われたという。

 「福島生まれであることを隠す必要があるのか」

 「子どもたちは生まれた場所やルーツに対して、全く後ろめたさを感じていない。それは大人が植え付けているものだ。子どもの純粋な意見に気付かされた」と千春さんは語る。

子どもと一緒に地域の防災を考える

 そんな星さん夫婦が「Kyoto学防災」を企画したきっかけは、昨年の秋に近所の墨染寺を借りて行ったハロウィーンイベントだ。コロナ禍で行動が制限される中で、何か子どもたちに楽しい体験ができないかと考えていたところ、墨染寺の住職が快く場所を提供してくれた。さらに子どもたちに渡すお菓子を用意するため、地域や商店街に呼び掛けたところ、700人分もの寄付が集まり、当日イベントに来た子どもたち全員にお菓子を行き渡らせることができた。

 「このイベントがなければ、地域の人がこれほど子どもたちを気に掛けていることに気付けなかった」と千春さん。ちょうど昨年、星さんの知り合いで、東日本大震災をきっかけに各地の被災地支援を始めた団体「BOND&JUSTICE」の代表を務める大𡈽(おおど)雅宏さんが本を出版したのを機に、講演会をしようとしていたのが、コロナ禍で中止となっていた。「それなら、子どもたちも楽しめるイベントとして、一緒にやろう」と、「Kyoto学防災」のプロジェクトとして再始動させることにした。大𡈽さんのトークショーや「BOND&JUSTICE」の写真展に加え、パトカー・消防車の展示や、防災宝探し、防災◯×クイズなど、子ども向けのプログラムも充実させることにした。

自分の身をどうやって守るかを考える防災教育を

 星家では毎年、3月11日を「おうち防災の日」と決めて、非常食を食べてみたり、いざ避難したときのことについて話し合ったりしている。急な停電に備えるため、何の前触れもなく突然明かりを消すこともある。そんなとき、つい大人は懐中電灯を探そうとするが、子どもたちはスマートフォンのライトを真っ先につけて対処するそうだ。「懐中電灯を探そうとするのは大人の固定観念。子どもの視点で大人も一緒に考えることが大事だ」と千春さんは痛感する。

 例えば、非常時のために残されている公衆電話が地域のどこにあるのかを、遊び感覚で確認してみたり、かけ方を練習してみたりする。テレビで海辺の映像が流れたときに、それとなく「ここの地域は津波が来たらどこに避難するんだろうね」と子どもに話し掛けてみる。そんなふうにして、日常の中で自然と防災について意識する習慣を付けながら、想定外の災害に見舞われても、自分の身をどうやって守るかを柔軟に考えられるようになることを大切にしているそうだ。

行動しないと何も変わらないけど、一人では無理だった
星さんが営む「SMILE STAR」では、3月になると東日本大震災の資料や写真を展示する(星さん提供)

 星さん夫婦の夢でもあった自分たちの店を開いてから、もうすぐ2年になる。店の名前は「SMILE STAR」。開店直前からコロナ禍に巻き込まれ、オープンの時期が遅れたり、予定していた営業時間を短くしたりせざるを得なかった。それでも、地元の人たちに愛される店として地域にしっかりと根付くことができた。「コロナで大変ではあるけれど、人には恵まれている。心の中ではマイナスなんて思っていない」と千春さんは胸を張る。

 千春さんは京都での生活で、さまざまな経験をしてきた。長男が幼稚園に通っていたとき、重い心臓病を患っている友達ができた。その子が渡米して心臓移植の手術を受けられるようにと、母親同士で集まって、チャリティーのフリーマーケットや募金活動をしたこともある。

 東日本大震災から11年。千春さんは次のように振り返る。

 「誰かが大変なときに、手助けをする姿を子どもたちに見せるのが大人の役割。行動しないと何も変わらないが、一人では無理で、家族や周囲の理解が必要だと分かった。もし東日本大震災がなかったら、今でも福島で暮らしていたかもしれないけれど、ここまでの行動はきっとできていなかった」

3月19・20日に京都市伏見区内で開かれる「Kyoto学防災」(星さん提供)

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 「Kyoto学防災」は3月19・20日に開催。初日は午後5時から、京都市伏見区の墨染寺で大𡈽さんのトークショーなどが開かれる。2日目は午前10時から、同区内の藤森神社で防災クイズや大𡈽さんと被災地で活動した消防隊、警察官とのトークディスカッションなどが行われる。

 (藤井孝良)

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