発達障害の子どもたちの青春 凸凹の凸を伸ばす「学校」

 増加する発達障害のある子どもたちへの学びやキャリア支援が、学校現場で課題となっている。さらに、発達障害のある子どもに多いとされる、特異な才能を持った「ギフテッド」への教育についても、国の議論が進んでいる。そうした中で、発達障害のある子どもや若者が一緒になってプロジェクト型の学習に取り組みながら、社会で生きていく力を育てている「学校」がある。ギフテッドの子どもたちへの教育にもいち早く挑戦し、今も模索を続けている「翔和学園」の取り組みを取材した。

すごく遠回りで効率の悪い就労支援

 都心に近いビルのワンフロア。教室に足を踏み入れると、そこはまるで工学系の大学の研究室をほうふつとさせる、活気に満ちた空間だった。ちょうど取材で訪れた日は、日本の伝統的な木造建築の手法を学ぶワークショップなどを手掛けている大工の岩越松男さんと建築士の森田千史さんらが、子どもたちにノミやノコギリの使い方を教えているところだった。

専門家の指導の下で作業に没頭する翔和学園の子どもたち

 道具を手に説明する岩越さんの一挙手一投足を食い入るように見つめているのは、小学生から20代まで、幅広い年齢の子ども・若者たち、「大鷲平和の城プロジェクト」のメンバーだ。

 その隣のスペースに目をやると、何やら木の枠を組み立てている。こちらはペットボトルによる巨大ロケットでギネス記録に挑戦するというプロジェクトで、この日は打ち上げのための発射台の試作品を、ホームセンターから調達した材料で組み立てているところだった。

 「世界一を目指そうとか、伝統工法で城を建てようとか、やってもやらなくても生きていけるけれど、彼らの人生の豊かさは確実に変わる。学校が居心地の悪い場所だった彼らは、まずこういう『青春』をしたことがない。仲間と一緒に夢中になって何かを成し遂げて、自分の存在が誰かの役に立っていることを知る。その上で、こんな経験をしている『ぶっとんだ人材』を企業に採用してもらう。すごく遠回りで効率の悪い就労支援を目指している」

 そう話すのは、案内してくれた同学園スタッフの中村朋彦さんだ。もちろん、同学園の「大学部」に在籍する若者の中には、企業への就職を目指して、ビジネスマナーや報告・連絡・相談などの働く上での基礎基本をトレーニングしている人たちもいる。しかし、それらの就労に向けた本格的な準備を始める前に、こうしたさまざまなプロジェクトなどを通じて、非認知能力や自己肯定感を高め、青春を楽しむことをここでは大切にしているのだ。

 東京都中野区にある同学園には現在、小学1年生から20代の若者まで、88人が在籍し、19人の職員が支援を行っている。小中学部の子どもたちは地域の小中学校に学籍はあるが、普段は同学園に通っていたり、曜日によって交互に学校と同学園を行き来したりと、フリースクールのような運営形態になっている。同学園にはプロジェクトを進める仕切りのない大きな部屋もあれば、個人で落ち着いて過ごせる小部屋やカフェスペースなどもある。また、囲碁サロンも併設され、一般の囲碁を楽しむ目的でやってきた利用者が、同学園の子どもたちと一局打つこともあるそうだ。

里山再生から始まった城づくりへの長い道のり

 そうこうするうちに、城プロジェクトのメンバーがカフェスペースに移動して、岩越さんたちと城づくりに向けて打ち合わせを始めた。

城プロジェクトのメンバーの一人が木造建築の伝統工法を詳しくまとめたノート

 「まずは道具を使いこなすことからだね。刃物を研(と)ぐ名人、ノコギリの縦引きの名人、そんなふうに、一つの動作をそれぞれ極めていけばいいよ。それから、道具の名前は本を読んで覚えなさい」と岩越さんがアドバイスすると、一人の男の子が岩越さんの前におずおずとノートを広げた。そこには、さまざまなノコギリの名前や特徴、伝統的な木造建築の用語が丁寧なイラストと文字でまとめられていた。図鑑のような精緻な出来栄えに、岩越さんは「この調子で道具の使い方や専門用語をしっかり覚えて、みんなに説明できるようにしてみて」と笑顔で背中を押した。

 「実は、あの子はもともと恐竜が好きで、『道具が進化したことで建築も進化しているんだよ』と話すと、『進化ですか!』とすごく反応した。もしかしたら、恐竜が好きというのはあくまで表面に見えている部分に過ぎなくて、彼の興味の根っこは『形態の進化』にあるのかもしれない。そうだとすると、彼が夢中になれるものの幅がすごく広がる」と、その様子を見ていた中村さんは、彼が取った行動の背景をうれしそうに語った。

 千葉県君津市にある大鷲山の再生に同学園が携わるようになったのは、2011年のこと。大鷲山に入り、同学園の子どもたちが清掃活動をするところから始め、畑を開墾したり、小屋を建てたりしながら、地元の協力を得て少しずつ里山としてよみがえらせつつ、合宿を毎年行ってきた。

 整備が進んでいくうちに、メンバーの中から「普通のキャンプ場みたいでつまらない」という声が上がり、新しい挑戦として城プロジェクトがスタート。城を支える大黒柱の基礎となる大きな岩を、コロを使って麓から運び、いよいよ着工となったところで、19年の夏に房総半島を襲った台風19号の被害で、大鷲山での合宿はいったん休止となってしまった。その後、コロナ禍が続いたこともあり、現地での城プロジェクトはストップしたままだ。それでも諦め切れないメンバーは、東京でできることをしようと岩越さんたちに指導を仰ぐことにした。

 道具の使い方とくぎを使わずに組み立てる木造の伝統工法を習得し、まずは「大鷲城」の小さなスケールモデルを組み立てることが当面の目標だ。それだけでも1年はかかるだろうとスタッフはみているが、完成までのロードマップを考えるのもメンバーに任せている。最初にみんなで岩を運び出す経験をしたメンバーの中には、本当はもう卒業するはずが、どうしても城ができるまでを見届けたいと「留年」を決めた若者もいるほど、彼らの城に懸ける思いは強い。

 「プロジェクトの目的は城を建てることではなく、自分もやればできること、仲間と力を合わせる大切さを学ぶこと。この作業を通じて、不器用だった子も、少しずつ体の使い方を感覚的につかむようになる。ただのトレーニングだったらつまらないけれど、これは楽しいし、体を動かした結果として、城の完成が近づく」と中村さん。

ギフテッド教育の「失敗」から得た学びのスタイル

 もともと翔和学園は若者の就労に向けた技術習得を目的とした機関としてスタートしたが、せっかく資格を取得できても実習先でトラブルを起こしてしまう若者が多くいることに着目。人間関係やコミュニケーションへの不安を抱えている若者や、発達障害のある若者の社会的な自立を目指す「学校」として再スタートを切った。高等部や小中学部を開設し、小学生から若者まで一貫した教育体制となった。さらに現在は、都内で小規模グループホームの運営も手掛け、発達障害のある若者が共同生活を送りながら、親から独立して生活していくためのスキルやどんな支援が必要なのかを見極める取り組みに力を入れる。

 そして、同学園はまだギフテッドという言葉が日本に入ってきたばかりの2014年ごろから、ギフテッドの子どもたちの教育にもいち早く乗り出した。しかし、この試みは同時に、大きな反省も生むことになったという。

 「最初はとにかく好きなことをとことんやらせてみようとしたのだが、いくら好きなこと、興味があることでも、長く集中が続かないのが分かった。同時に、ギフテッドの子どもたちだけを集めたクラスにしてしまったことで、ある種の特権意識を生んでしまった」と中村さんは当時を振り返る。

 その教訓から、同学園では「分ける」ことをやめ、障害の程度や年齢も関係なく、共に学ぶ現在のスタイルを導入した。「同年代だと衝突してしまい、うまく解決できないことがあっても、縦割りならば年上の子どもが間に入ってくれるので」と中村さん。「ギフテッドの子どもが、本人の好きな世界の中だけに閉じこもって生きるのではなく、社会の中でその能力を生かせるようになるためには、多様性のある環境にいることも大事だ」と指摘する。

 そんな縦割りで一緒に夢中になって楽しめる環境をつくりつつ、本人の特性を分析し、それをヒントに得意なことを拡張させていくことにも力を入れる。ただ、正解がすぐに見つかるわけではなく、集中していると思ったら飽きてしまうといったこともよくある。試行錯誤を繰り返しながら、その子に合った方法を探す、そんな伴走型の支援を根気よく続けることになる。

 翔和学園での「教師」の関わり方について、中村さんは次のように語る。

 「凸凹の凸を伸ばすには、教師だけでは無理で、いろいろな人と人のつながりが大事だ。学校の内と外の壁をなくすのと同時に、できれば子どもと教師の壁もなくしたい。人間と人間の対等な関係で、彼らが幸せになれる道を一緒に探していきたい」

(藤井孝良)

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