「学校現場の負担になる調査はおかしい」 川口准教授に聞く

 小学6年生と中学3年生の全員が対象の「全国学力・学習状況調査」が、今年は4月19日に行われる。こうした国や自治体の調査への対応は、学校現場にとって少なからぬ負担だ。全国公立学校教頭会の調べでは、「大変な時間と労力を費やすのに、ほとんどやりがいが感じられない業務」の筆頭に挙げられている。しかもその調査結果が、十分に活用されることなく死蔵しているとしたら……。教育学・教育社会学が専門で、文科省の「全国的な学力調査に関する専門家会議」の委員も務める福岡教育大学の川口俊明准教授は、編著『教育格差の診断書』(岩波書店)の中で、国や自治体の学力調査が乱立した揚げ句、十分に分析されていない現状に警鐘を鳴らしている。さらに「学校現場の負担になるような調査はおかしい」と断言。調査が学校現場を疲弊させる背景として、川口准教授は日本の教育行政の構造的な問題を指摘する。

問題が起こって初めて調査する

 「『調査』という言葉の意味が、学校現場で誤解されているような気がする」。調査依頼への対応が、学校現場にとって大きな負担となっている現状について、川口准教授はそう語る。「すでに学校現場には多くのデータが蓄積されている。それを利用するだけでも、相当なことが分かる。結果を分析・活用する教育行政の側は大変かもしれないが、学校現場への負担はほとんどないはず」。

教育行政の課題を指摘する福岡教育大学の川口俊明准教授(Zoomで取材)

 学校現場の負担感が大きい理由の一つは「問題が起こって初めてデータを取る」というやり方にある、と川口准教授は指摘する。「例えば、現在の全国学力・学習状況調査は、学力が下がっているのではないかという批判を受けて実施されたもの。本来は継続的に学力を調べる調査が実施されており、その結果として学力が下がった・上がったという議論をするべきなのだが、学力低下という問題が先にあって、その対策として調査をするというのは順番がおかしい」。

 川口准教授は本の中で「日本の子供たちは、多い場合は年に3回(全国調査、都道府県の調査、市町村の調査)の学力調査を受けていることになる」と記している。学力調査に加え、学校に依頼される調査は数多くあるが、その中には「エビデンスが大事だと言われるから、やっておこうか」と依頼されるケースも少なくないのが実情だ。

 川口准教授は「個人的な経験や思いだけでなく、学力のように共通認識の土台となる指標があることは、教育政策を議論する際には重要」と話す。ただ、「学力を測る作業は意外と難しく、結局、何を測っているのかよく分からない学力調査も多い」という。

 その上で「現場の負担を考えると、調査によるデータの取得は必要最低限でよい。あえて例えるなら、健康診断のX線(レントゲン)検査のようなものにしていく必要がある」と語る。

『朝ご飯と学力』の例が示す分析の難しさ

 学校現場が大変な思いをして回答した調査は、果たして十分に活用されているのか。川口准教授は本の中で、文科省などが推進する「早寝早起き朝ごはん」運動の例を取り上げる。文科省のリーフレットでは、小学6年生の朝食摂取状況と学力調査の平均正答率との関係がグラフで示され、国語・算数とも朝食を「毎日食べている」グループの方が、「食べていない」グループと比べて、平均正答率が高い傾向が示されている。

文科省「早寝早起き朝ごはん運動」のリーフレット(2020年度版)

 このグラフを見ると、「朝食をとるようになれば、学力が上がる」ようにも思える。しかしこうした1時点の「クロスセクション分析」では、調査時点で朝食をとっている子供の方がそうでない子供より成績が高いことは分かるが、朝食をとるようになったら学力が上がるのか、という変化は分からない。

 変化を知るためには、同じ子供に対して学力調査を繰り返す「パネルデータ分析」が必要だ。川口准教授がある自治体のパネルデータを使って分析したところ、「朝ご飯を食べるようになったら成績が上がる」という傾向は見いだせなかった。この例から分かるのは、分析手法次第で得られる結論は変わるということだ。どの手法が適切なのか理解するには、分析に携わる者はもちろん、分析結果を利用する側にも最低限のリテラシーが求められる。

 「1時点のクロスセクション分析ならまだしも、3時点を超えるデータを扱う分析は、一定の統計リテラシーがないと理解するのは難しい」と川口准教授は話す。「日本では学校現場からのたたき上げで育った人材が教育行政に入ることが多い。これは現場の肌感覚が分かるという強みはあるものの、データ分析に必要な専門性という点では課題になる。外部の研究者やシンクタンクに分析を委託するにしても、そもそもどういうデータや分析方法が必要なのかといったことを委託する側の行政が理解していないと、意味のある知見は得られない。できるなら都道府県・政令市レベルで各地の大学などと連携し、専門のデータ分析チームを持ったり、人材の育成を行ったりするがことが望ましい」。

教育行政と学校現場の最適解は違う

 近年、家庭環境と学力格差の関連に注目が集まっている。今年3月に公表された2021年度全国学力・学習状況調査の追加分析でも、コロナ禍の休校期間の長さにかかわらず、社会・経済的に厳しい家庭の児童が多い小学校で、学力調査での平均正答率が低い傾向が指摘されたところだ。

 川口准教授の編著では、専門家らがそれぞれの観点から、教育格差の実態をデータによって浮き彫りにしている。こうした分析を、学校現場の教員はどう読めばよいのか。川口准教授は「教養として知っておくことはもちろん必要だが、社会における格差問題と学校現場での実践が、直接につながるわけではない」という。

 その理由は「マクロ(教育行政)とミクロ(学校現場)の視点は違う」からだ。「マクロに見れば家庭環境によって学力に差があることは事実だが、ミクロに子供たち一人一人を見れば、厳しい家庭環境でも光り輝く才能を持っている子もいる。ミクロな視点から子供たちの個性と向き合っているのが学校現場で、『この子は家庭環境が厳しいから、学力が低いはずだ』と決めて掛かることは問題だ」。

 一方で、教育行政には教育格差の実態をデータで把握する視点が求められるという。「自治体レベルになると、厳しい家庭環境にある子供ほど学力が低いという大きな傾向が見え、一人一人のばらつきは『誤差』になる。学力格差という現実は認めた上で、厳しい環境に置かれた学校から優先的に人員や予算を手当てするなどの判断をしなければならない。調査データは、こうしたマクロな意思決定を行う際に重要だ」。

 マクロなデータ分析に強みのある米国や英国とは対照的に、日本はミクロの視点が強過ぎるという。「全国学力・学習状況調査はその典型で、教育政策に生かすのならば一部の学校だけを抽出して調査を行うのが基本。わざわざ悉皆調査を行って個々の子供の指導に役立てるという日本のやり方は、ミクロの視点が色濃く出てしまっている」と、川口准教授は批判する。

 「学校現場の先生は目の前の子供を見ることが仕事だが、教育行政には資源をどこに配分するか考える別の役割がある。それぞれで必要な最適解は異なっており、当然必要とされる専門性も違う。日本の教育行政の弱点は、学校現場の視点を強く持ち過ぎていて、一人一人の『誤差』を見ようとする視点が政策に持ち込まれているところだ。マクロなデータ分析に必要な、専門人材や予算が不足していることに自覚的になる必要がある」

(秦さわみ)

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