【共に学ぶ】医療的ケア 前例の壁に挑んだ登校への希望

 日常的に24時間の酸素吸入や人工呼吸器の操作などの医療的ケアが必要な子どもたちが、訪問教育ではなく学校に通学するケースも見られるようになってきた。昨年の国会で成立した「医療的ケア児支援法」も追い風となり、こうした医療的ケアの必要な子どもたちや保護者へのサポートが、教育や福祉などに一層求められるようになった。しかし、医療的ケアの必要な子どもが学校で学び、さらにその後、地域社会で生きていくまでには、さまざまな壁が立ちはだかっている。「共に学ぶ」第9回では、保護者のストーリーを基に、医療的ケアを必要とする子どもたちが学校に通うことの意義に焦点を当てる。

送迎や付き添いをしてでも通学を望んだ理由

 「『前例がない』という言葉を何度聞いただろう」

 直井由佳里さんの長女は、特別支援学校の東京都立光明学園の中学部に通っている。長女は最初、人工呼吸器を1日中付けなければいけなかったが、体力が付いてきたことで今は夜間だけ利用することが多い。かつては人工呼吸器を取り付けている子どもは入院を続けるのが一般的だったが、医療の進歩と共に自宅で過ごせるケースも多くなった。3年生である直井さんの長女は、その最初の世代に当たる。それだけに、これまで誰もやったことのないことを自ら開拓していかなければいけないこともあった。

 その一つが「学校に通う」ということだ。人工呼吸器を付けている場合、自宅に出向いた教員から授業を受ける訪問教育になることが「普通」だった中で、直井さんは3年間にわたり送迎と付き添いを続け、通学することを選択した。最初こそ教室のすぐ隣で何かあったときのために待機することを求められたが、学校看護師が人工呼吸器への対応に慣れてくると、徒歩15分以内に駆け付けられる場所にいることを条件に、学校を離れることもできるようになったという。

 同じ光明学園の小学部6年生に息子が在籍している樋口てるみさんも、通学の壁にぶつかった一人だ。樋口さんは就学にあたって、当初は特別支援学校ではなく公立小学校の特別支援学級に入学することを考えていたという。しかし、実際に見学に行くと「食事や排せつ、着替えが自分でできる子どもでないと受け入れられない」と断られてしまった。光明学園への入学でも、24時間酸素吸入が必要な子どもが通学するケースは初めてで、スクールバスに乗せることは無理だと判断された。樋口さんは学校や教育委員会などと粘り強く交渉を続けた。「この子が通学するにはどうしたらいいか。『前例がないからできないではなく、一緒に考えましょう』と伝えたら、切り捨てずに協議してくれた。この子の学ぶ権利を大事にしてもらえた」と振り返る。今では、学校も元気に通学している状態が確保できているなら問題ないとして、樋口さんが学校に付き添うこともなくなった。

保護者が声を上げ、教委や学校が変わり始める

 横浜市内の特別支援学校に通う中学2年生の金野太晴(こんの・たいせい)さんも通学を希望した一人だ。息止め発作があり、5歳になる直前まで入院していた太晴さん。同世代の子どもたちと接する機会をつくりたいという父の幸雄さんや母の晴子さんの思いは強かったが、酸素療法や気管内吸引などの医療的ケアが必要な場合、「スクールバスに乗るのは難しい」という学校の判断は変わらなかった。通学手段について社会福祉協議会などにも掛け合い、ボランティアの協力もあって通学のめどがついたのは、入学直前の3月のことだ。入学後も、太晴さんの送迎と付き添いは主に晴子さんが担わざるを得なかった。

特別支援学校の授業を受ける太晴さん(金野さん提供)

 風向きが変わったのは、太晴さんが小学部6年生のときだ。人工呼吸器を使用する児童生徒の保護者付き添い解消に向けた横浜市教委のモデル事業が始まり、太晴さんがその対象になったのだ。「帰宅後もケアは続き心身がすり減っていく。それでも自分の休息のために大好きな学校を休ませることには心が痛んだ。親から離れ、友達と共に学び成長していくはずの学校。子どもの成長にとって母子分離が望ましいとしても、マニュアルに『人工呼吸器使用の児童生徒は保護者の付き添いが原則』と記載があれば学校も踏み切れず、教員の間の不安感にも温度差があった。太晴もみんなと同じように学校生活を送りたいだけなのに、こんなにもハードルが高い」と晴子さんはこれまでの苦労を語る。

 同じ特別支援学校に通う高等部1年生の鈴木優希さんは、小学部に入学した当時、気管切開をしている子どもで通学をしている珍しい存在だった。最初は週に1日の通学からスタートし、徐々に登校する日を増やしていくようになった。その一方で、学校にも付き添い、家庭では深夜にもケアをする母親の妙佳子(たかこ)さんは、体力的にも精神的にもきつかったという。それでも妙佳子さんは、学校側が優希さんの医療的ケアに慣れるまで、1年以上かけて付き添いを続けた。

 優希さんは、小学部に入学した当初は夜間のみ人工呼吸器を使用していたが、気管支を長持ちさせ、疲労を軽減させるため、小学部6年生のときに人工呼吸器を24時間使うようになった。そのため、一度は必要なくなった保護者の付き添いが再開することになり、教室の外で妙佳子さんの待機する日々がまた始まった。その間、妙佳子さんは教員や学校看護師が不安に感じていることに耳を傾けるなどして、丁寧に信頼関係を築いていくことを心掛けていたという。そして金野さんや、訪問教育で同じように人工呼吸器を使っている子どもの保護者にも呼び掛け、市教委宛てに陳情書を提出。付き添いによる保護者の負担の大きさや、子どもの自立心が育たないこと、クラス全体に及ぼす影響などを伝えることにした。

 「当事者が具体的にどう支援してほしいかを正直に伝えたら、市教委も学校も理解してくれた。校長から『家に帰った後の生活もあるということに初めて気付かされた。子どもだけでなく家庭の支援もしないといけない』と言われたときは、本当にうれしかった」と妙佳子さんは話す。

子どもが学校に通うことで実感できた自立と成長

 取材を通じて、どの保護者の話でも浮かび上がってきたのは、学校に通えたことで得られた子どもの成長だ。

 直井さんの長女は電動車いすで移動し、パソコンでコミュニケーションができるようになった。これは、直井さんの相談を受けて、教員がさまざまな方法を試してきた成果でもある。「放課後も友達とLINEのグループで会話を楽しんでいる。学校で友達と一緒に過ごせるから、子どもは頑張れる」と直井さんは長女の変化に目を見張る。

 また、樋口さんの息子は、小学部2年生のときに経管栄養のチューブを取り外せることになり、医療的ケアが一つ減った。最初はみそ汁やゼリーといった水分の多いものの摂取から始め、今では友達と同じ教室で給食の時間を過ごすことが日常になった。「先生が親の思いを受け止めてくれて、子どもの成長する瞬間を逃さずに、いろいろな方法を試してくれたことは本当にありがたかった」と樋口さん。

ピアノに挑戦する優希さん(鈴木さん提供)

 鈴木優希さんの場合、中学部2年生の7月からモデル事業が始まり、3年生の11月に実際に付き添いが解消されると、寝たきりで言葉も話せず、わずかに顔を動かしたり瞬きをしたりすることでしか表出方法がない優希さんのコミュニケーション能力は、格段に上がったという。教職員と優希さんが、親を介さずに「会話」できるようになったことは、市教委や学校と共通の喜びとして分かち合えた。在学中に身に付けたコミュニケーション能力は、卒業後にこそ生かされていく。そう妙佳子さんは確信している。

 金野太晴さんは地域の公立学校にも副籍があり、定期的にその学校の同級生と交流を行ってきた。ボッチャをやることになったとき、周りの友達はどうしたら太晴さんも楽しめるか、ルールややり方を考えて一緒に楽しむ姿もみられたという。晴子さんは「ただ同じ教室にいるだけじゃなくて、友達として接している。こうした試行錯誤しながら共に過ごす時間の積み重ねが、共生社会をつくる上ですごく大切だと思う。でも、小学校でこうした交流ができても、中学、高校と関係性がなかなか続かないのはもったいない」と話す。

 学校に通うことで友達ができ、さまざまな学びや成長につながっている一方で、保護者らの悩みは卒業後の子どもの将来だ。

 晴子さんは太晴さんの卒業までの残された時間を「まるで砂時計のよう」と表現し、焦りを感じている。「人工呼吸器であっても地域の人と関わり合う仕事がしたい。でも実際にはそういった場所もなく医療的ケアをしてくれる看護師の手配も難しい。卒業後の居場所を決められる状況にない」(晴子さん)。

 また、直井さんは「娘は在宅で入力の仕事などができるかもしれない。けれど、お金を稼げるようになると、今度は福祉サービスの利用が制限されてしまう。障害者の作業所でも医療的ケアが必要だと入れないこともある。これは制度上の問題だ」と指摘する。

医療的ケアの必要な子どもたちへの支援に向けて模索が続く学校現場

 文科省の「学校における医療的ケアに関する実態調査」によれば、2019年11月1日時点で、全国の特別支援学校、幼稚園、小、中、高校に在籍する医療的ケアを必要とする幼児児童生徒は9845人に上る。医療的ケアの必要な子どもの受け入れは、特別支援学校だけでなく、今やどの学校でも起こり得る状況だ。

医療的ケアを必要とする子どもの数(校種別)

 国会で成立した「医療的ケア児支援法」を受け、文科省は昨年6月に「小学校等における医療的ケア実施支援資料」を作成した。医療的ケアの必要な子どもを学校で受け入れる際の組織的な実施体制や、教職員が教育活動において配慮すべきこと、医療的ケアを学校看護師が行う際の留意点などを学校関係者向けに解説している。また、子どもの医療的ケアに対応するための学校看護師の配置に関するモデル事業など、さまざまな取り組みが各地で進みつつある。

 しかし、具体的にどのような医療的ケアがあり、どういった支援が必要なのかは、子どもによってそれぞれ異なる。学校看護師の確保・配置や教員との連携、保護者の送迎・付き添いの負担など、受け入れにあたっての課題は山積しており、模索が始まったばかりというのが、学校現場の実情だ。

 例えば、21年度から始まった東京都の「医療的ケア児の保護者付添い期間短縮化モデル事業」に指定されている光明学園では、医療的ケアの必要な子どもが就学前に学校に慣れ、入学後もできるだけ早く保護者が学校に付き添わなくて済むように「ステッププログラム」と呼ばれる取り組みを始めた。入学予定の子どもが3月ごろに2回ほど来校し、実際の学校生活を体験。教員や学校看護師が保護者による医療的ケアの様子を観察しながら、適切な対応策を検討し、移行プランを作成する。文科省の「小学校等における医療的ケア実施支援資料」の編集協力者も務めた光明学園の田村康二朗統括校長は「医療的ケアの子どもが10人いれば、10パターンの支援がある。送迎車両運行中に吸引などが必要になった場合の途中での一時駐車スペースの確保や、看護師を専用車両のどの席に乗せるかなど、医療的ケアの必要な子どもを受け入れるにあたっては、個別具体的に考えなければいけないことは多い。保護者と協議しながら学校としての支援を考える、医療的ケアを専門としたコーディネーター役の教員が必要だ」と提案する。

 また、民間の動きも活発になっている。中でも、認定NPO法人のフローレンスは、預かり先が圧倒的に不足している医療的ケア児の家庭支援のため、長時間、子どもを保育する施設型の「障害児保育園ヘレン」や保育スタッフが利用者の自宅で保育を行う「障害児訪問保育アニー」、居宅訪問型児童発達支援として看護師が利用者宅を訪問する「医療的ケアシッターナンシー」などの事業を展開する。特にナンシーでは現在、金野さんらが対象になった横浜市教委のモデル事業の一環で、登下校時に看護師が通学支援車両に同乗して、保護者に代わって医療的ケアを行う試みも始まった。

 もともと新生児集中治療室(NICU)の看護師として働き、ナンシーに転職した看護師の長谷川枝里子さんは「医療的ケアの必要な子どもたちの在宅生活に関わりたいと思ったのが転職した理由だ。金野さんや鈴木さんはもともとナンシーで訪問している家庭だったので、登下校モデル事業も比較的スムーズだった。訪問していないご家庭でも安心して始められる環境を横浜市と作っていきたい」と話す。

 どの学校でも医療的ケアの必要な子どもが入学する時代。受け入れる側の学校が抱く不安や懸念、そして、そこから生まれる後ろ向きな姿勢を払しょくするには、どうすればいいのだろうか。

 保護者の立場から、樋口さんは「医療的ケアであっても何も諦めることはない。教育現場も怖がらずに、当たり前に接してほしい。不安なことがあれば、保護者と共有してもらえたら」と学校現場に期待を寄せる。

 金野晴子さんは教員や学校看護師とのコミュニケーションを課題に挙げる。「教員と学校看護師が、お互いが抱いている『教育と医療のバランスの取り方の難しさ』を相談し合える環境が必要だと思う。そして、教員も学校看護師も、家庭で医療的ケアの子どもたちがどう過ごしているかを定期的に見に来てほしい。その子の普段の姿を知る機会ができれば、お互いの距離はぐっと近づくはずだ」と話す。

 市教委に向けて陳情書を出し、教員や学校看護師とのコミュニケーションを常に大切にしてきた鈴木妙佳子さんは、次のように呼び掛ける。

 「保護者と学校はお互いに遠慮せず、まずは話し合ってほしい。それぞれの課題が分かれば解決の糸口は必ず見つかる。一人の親の立場で、自分事として考えてくれた先生もいた。医療的ケアの子どもを受け入れるとなったとき、分からないから不安が大きくなる。まずは知ろうとするところから始めてほしい」

(藤井孝良)

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