【GIGA2年目】 負担重い「教員主体」のマインドを手放す

 ICTを活用した「個別最適な学び」への転換が求められる中、教育新聞が小中学校の教員に対して行ったアンケートでは、1人1台端末を「教員の指示のもと、一斉に使う」スタイルが74.1%を占め、「児童生徒が判断して、個別に使う」スタイルは25.9%にとどまった。授業支援ツール「スクールタクト」を手掛けるコードタクトの後藤正樹代表取締役は、こうした一斉授業スタイルが教員の負担感につながっていることを指摘。子供たちが自己選択する機会を増やし、学習者主体の学びを実現していくための、教員のマインドセットの在り方を語る。

子供たち自身に、自分の課題を考えさせる

――本格導入から2年目を迎えた、GIGAスクール構想の現状をどう見ますか。

 私は新型コロナウイルスの感染が広がった2020年、以前から予定されていたGIGAスクール構想による1人1台端末の整備を早期に行うよう、官邸に提言しました。たった1年間で一気に端末を整備するという、ある意味、荒療治のようなやり方でしたが、学校以外の世界ではとっくにICTがインフラとなっている現状、国として変革のタイミングはここしかなかったのではないかと思います。

授業支援ツール「スクールタクト」を手掛けるコードタクトの後藤正樹代表取締役

 「本格導入から2年目」と言いますが、昨年度の途中で整備され、まだ使い始めて1年もたっていないという学校もたくさんあります。学校現場では、ICTを使う目的について腹落ちしておらず、共感しにくい、といったことがまだまだあるように感じます。人間は暗黙のうちに、所属する組織の雰囲気に影響を受けるもので、教員主体の一斉授業が最も効率的だった時代のやり方に慣れていれば、それが当たり前だと思うのも無理はありません。

 そこにICTが登場して「学びをもっと個別最適にしていきましょう」と言われても、イメージが湧かないし、動けない。たとえ動いたとしても、教員主体のやり方につい戻ってしまう、戻っても気付かないということが起こります。そうした中でコードタクトが目指しているのは、教員が使っていく中で「こうすると学習者主体になりやすいな」と気付き、ひいては組織全体の考え方が変わっていくような、授業支援ツールを作ることです。

――1人1台端末の使い方は「教員の指示のもと、一斉に使う」スタイルがまだまだ多数派です。

 一斉授業について、「今までこの教え方で問題なかったのだから、それでいいじゃないか」というのは、よくある反応の一つです。ただ子供たちの将来を見通した時に、本当にその教え方でよかったのかは、問い直す必要があります。狭い意味での「学力」は高いけれど社会に適応しづらい人間を生んできた、生きづらさを抱える子供たちを受け入れる場所になれていなかった――ということは本当にないでしょうか。

 一斉授業の長所は、多くの子供たちにインプットができることですが、一方で個別の対応がしづらく、狭い意味での学力でいうと学級の「中の下」くらいにフォーカスせざるを得ないという短所があります。ICTのある現在ではもったいないシステムで、もっと子供たち一人一人の興味・関心や意欲に応じたものにしていく必要があります。

 例えば、単に「この問題を解け」と教員が指示するのではなく、子供たち自身で「自分はこの問題を解いて、知識を定着させる必要があるな」などと考える場面をもっと作るべきです。子供がすでに十分理解していると思ったら、その時間を使って、学んだ単元の内容でユーチューバーのように解説動画を作ってみるとか、他の人が覚えやすいように歌を作ってみてもよいかもしれません。こうやって、学んだことを現実の世界で表現していくことが生きた学びになります。

 ここでは同時に「100点を取ることが偉いのではない」ということも伝えてほしいと思います。100点を取ったということは、今の自分にとって簡単過ぎる課題だったということですから、「自分が70点ぐらいを取れる課題にチャレンジしていくこと」を評価するというように、考え方を変えていくことが必要です。一律に同じ課題をこなし、その結果を他の人と比較するよりも、自分自身の現実と理想のギャップを適切に捉えられているかを、もっと重視していくべきです。

日本の学習観はだいぶ古い

――端末活用の負担を訴える人の割合は、「教員の指示のもと、一斉に使う」スタイルを取っている中学校教員で高い傾向がありました。

1人1台端末導入に伴う負担感の変化(授業スタイル別、教育新聞アンケート)

 ICT活用の負担感は、教員主体のスタイルで高く、学習者主体では低いという傾向が見られます。教員主体でやろうとすると、これまで作っていたアナログな教材を、ICTを使ってもう一度全部作り直すというマインドセットになりがちで、負担感につながります。さらに、子供たちが端末で遊んでいないかチェックする管理コストも生じやすくなります。

 学習者主体と教員主体を分けるのは、「子供たちに自己選択させる機会がどれだけあるか」ということです。例えば、1から10まで説明する資料を作るのではなくて、教員は問いだけを示し、そこから発展させていく過程は子供たちに任せてしまえば、教員が全て説明する必要はなく、大きな負担は生じにくいはずです。

 教育新聞のアンケートでは、「1人1台端末を半分以上の授業で活用している教科等」として、小学校では「社会」を挙げる教員が多くいたようです。時代背景を考えさせるなど、答えが一つに決まらない内容は、まさに授業支援ソフトが生きる場です。例えば「ザビエルはどんなことを考えたでしょうか」といった問いに文章で答えてもらい、考えをシェアしながら深めていくことができます。

 一方で、中学校では「数学」を挙げる教員が多くいましたが、これはおそらくドリル的な使い方をしていて、演習の部分をそれに任せているのではないかと推察します。中学校は教科担任制ですし、学習する内容も多い。さらに高校受験もあるので、どうしても狭い意味での「学力」に目が行ってしまい、教員が敷いたレールの上で学習させていくという考え方が強いのだろう、という印象を受けます。

 結局のところ、日本の学習観がだいぶ古いのではないかと感じます。他者と協働して物事を考え、アイデアを生み出していくといった、社会に出た時に本当に必要な、広い意味での「学力」と、高校受験、大学受験で問われるような狭い「学力」のギャップが広がっているように感じており、社会全体でそれを埋めていかなければならないと思います。

――これからの教員に求められる役割は。

 大切なのは「教員自身が、学びを楽しいと思って授業をしていること」だと思います。私自身が物理を好きになったきっかけは、ある先生でした。その先生は、とにかく物理学を愛していたのです。公式や方程式を生徒に「伝えなくては」というのではなく、先生自身が学問を楽しんでいるのが、生徒にも自然と伝わってくるような授業で、そこが他の先生とは大きく違っていました。

子供たちに自己選択させる機会の大切さを語る後藤氏

 当然、教え込むような授業ではありませんでした。一斉授業スタイルではあったものの、生徒が自己選択をする場面がしばしばあったのです。授業を聞いて自分がどう思ったか、意見や感想を言い合えるような場ができていて、「先生の言ったことが分かったか?」という確認の授業には決してなりませんでした。だから、一斉授業そのものが悪いのではなくて、一斉授業でもそういうことができる教員は、そのスタイルでよいのだと思います。

 これからの教員はティーチングではなく、ファシリテーション、コーチングを目指すべきだという意見もありますが、私は状況に応じて行き来するべきではないかと考えます。つまり、子供たちの自己選択に対して教員がどう対応するかが重要で、子供たちが選択した結果、「先生に教えてほしい」と言ったならば、ティーチングがよいわけです。ファシリテーションやコーチングはあくまでも手段であって、それが変に目的化しないようにしたいところです。

【プロフィール】

後藤正樹(ごとう・まさき) 早稲田大学教育学研究科博士課程満期退学、洗足学園大学指揮研究所を卒業。大手予備校にて物理科講師、教育系企業でのCTOを経て、現在、㈱コードタクト代表取締役、㈱スタディラボ取締役。また、デジタル庁にて非常勤国家公務員として教育のデジタル化を進める。これまでに総務省プロジェクトマネージャーや教育委員会の委員なども務める。またエンジニアとして、情報処理推進機構(IPA)より未踏スーパークリエータに認定、指揮者としては琉球フィルハーモニックオーケストラ指揮者などを務める。

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