誤答も堂々と語れる教室 学会シンポで事例紹介

 北海道臨床教育学会はこのほど、公開シンポジウムをオンラインで開き、「授業という経験を通して、子供たちが幸せになっていく可能性」をテーマとして議論を行った。シンポジウムでは山形市立鈴川小学校の佐藤卓生教諭、上智大学の奈須正裕教授が登壇し、児童らが授業の中で「正答」にたどり着けず、困ったり、悩んだりする過程に学級全体で丁寧に向き合う事例を紹介。これまでの授業で取り残されがちだった子供たちが、授業の中で自分の困り事を堂々と表明し、「分かる」ことの喜びを実感する姿から、これからの授業改善のヒントを探った。

「影は本当に1日で1周するのか、心配だ」
司会を務めた荒木教授(左上)、北海道臨床教育学会会長の守屋教授(左下)、山形市立鈴川小の佐藤教諭(右上)、上智大の奈須教授(YouTubeで取材)

 公開シンポジウムの冒頭、同学会の守屋淳会長(北海道大学大学院教育学研究院教授)は「学校は子供にとって生きづらい場所だ、ということを前提としていないか。実は、学校教育には豊かな可能性がある。授業で起きていること、子供たちが経験していることを丁寧に見ていくことは、臨床教育学の重要なテーマの一つ。授業の中で子供たちが幸せになっていくという可能性を追究したい」と呼び掛けた。

 登壇した山形市立鈴川小学校の佐藤教諭は「一人一人は違うと当たり前のように言うが、一人一人の子供の中には、奥行きも色も材質も構成も、全てが個性的で価値的な、独自の世界が広がっていると感じている」と語った。その上で、太陽の動きを観察していた3年生の児童が、観察していた30分間で影がほんのわずかしか動かなかったため「この速さで本当に1周できるのか」と心配になった、と話した事例を紹介した。

 「この子は1日に1回、太陽が自転することは知識として持っている。えっ、と思ったが、同じように心配している子が学級に4割ほどいた。次の日、実際に観察してみる予定としていたが、悪天候のため午前9時、正午、午後2時の3回しか観察できなかった。子供たちが困っていると、ある児童が「1周するのを360度というらしい。そこから考えたら、1日に1周できるかどうか、分かるのではないか」と提案した。

知識はあるのに、心配が消えないと語った児童の声に向き合う(佐藤教諭の発表資料より)

 当時、児童らは二位数で割る割り算や、角度・分度器の使い方をまだ学習していなかったが、佐藤教諭は4年生の学習内容を先取りして説明。計算してみると、子供たちが計測した3回分の記録と、計算上の1時間の太陽の動きがほぼ一致した。しかし、「まだ心配が減らない」という児童が3人いた。児童らはブランコの柵の影を、分度器も使いながら3日間にわたって計測し、3日間とも影が1日に1回転していることが影によって確かめられると、ついに児童らの心配はなくなったという。

 この経験で佐藤教諭は「子供たちの太陽の動きに関する捉え方や意味付けは、一人一人違う。このことは、一つの単元に限ったことではなく、1年間を通した理科の学びにも見られる」と改めて気付く。3年生の学年末に1年間の学習を振り返り、「3年生の理科のカリキュラムを作ってみよう」という活動をしたところ、「雨用・晴れ用の複線型カリキュラムを提案したり、算数など他教科との関わりを意識した内容を考えたりした児童がいた」という。

 佐藤教諭は「子供たちが出合った学習材を通して発見したことや知ったことを、自分の中にどう位置付けるかは一人一人それぞれ。学ぶことは、自分の中にしっくりと落ち着きが良いように位置付けていくという話になるのだと思う。そうした子供たちを支えるためには、子供たちの内面を良く見ようとする、理解しようとする、そうしたことを大事に、実践を進めていきたいと考えている」と話した。

分からずに困っている子から先に発表できる

 次に登壇した上智大学の奈須正裕教授は、20年ほど前に山形県天童市内の小学校で行われた研究会の動画を紹介。6年生の算数の授業で、問題が解けた児童に発表させるのではなく、分からず困っている児童に「何に困っているか」を説明してもらう様子を見せた。黒板の前に出てきた児童らは、正しい答えではないことを知りながら、どこで悩んでいるのかを自分の言葉ではっきりと説明。その後、正しい答えを説明した児童に対しても、「なぜそう考えるのか」など、堂々と質問を投げ掛けた。

 奈須教授は「普通は授業をする時に、できた子や分かった子、意見のある子に『出て来なさい』という指示をする。だから困っている子や分からない子は、はなから前には出られないし、困りごとを表明したところで『それは何?』となりがちだ。でもこの教室では、分からない子から話す。ある問題と向かい合ったときの今の状態を、とにかく全部出してよいことになっている」と説明。

 さらに「学校では教師が正しい答えを出し、子供がそれをノートに写すだけで分かったことにして、子供たちが自分の筋道で分かるようにしてもらえないことも多い。でも子供たちは、学校に来たからには分かったり、できるようになったりして家に帰りたい。この教室で児童が、自分でも明らかに間違いだと分かっていながら、うれしそうに堂々と話しているのはそのためだ。子供たちの力や教師の支えで、そうした学校観に変えてきた」と話した。

 佐藤教諭、奈須教授の示した実践例を見た守屋会長は「児童が、どうも違うと思いながらも『私はこうしか考えられないのだけど……』という考えを、教室という公的な場に出せるのはすごくよい。それぞれの子が堂々と、自分の筋道で物事を考えてよいし、授業の場で他の子が考えたことが出てくれば、それを聞いて納得できる。普通の教室だと、自分のこだわりと無関係な決まったやり方で進められてしまうことも多いが、ここでは一人一人が大切にされている、納得するまで質問していいんだという雰囲気ができている」とコメント。

 司会を務めた札幌大学の荒木奈美教授は「分からない子が堂々としていられる一つの要因として、学ぶ対象に向かっているから、というのがありそうだ。一般的に、恥ずかしいという考えが出てくるのは、自分自身に(意識が)戻ってきてしまうから。紹介された事例では対象が学びなので、間違っていようが何だろうが、自分は関係ない。解決したい問題があって、そこにみんなが向かっているからではないか」と述べた。

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