教師を目指す学生へ 「漫才の授業」に教授が込めたメッセージ

 「学生が漫才づくりを通じて、パフォーマンス力を磨くことを目指す、ちょっと変わった授業です」――。東京理科大学教育支援機構教職教育センターの井藤元教授からメールを受け取った記者は、6月中旬から約1カ月間、計8コマに及ぶ授業を取材した。ゲスト講師として招かれたプロのお笑い芸人による厳しくも温かい指導を受け、最初は恥ずかしそうにしていた10人の学生たちも、次第に生き生きとした漫才を披露するようになっていく。とはいえ授業が進んでも、教職に関する具体的な話がなかなか出てこないのが不思議だった。そのまま迎えた最終発表会の日。全員の発表が終わった後、ようやく井藤教授が込めたメッセージが明らかになった。

話し方のテクニックを解説する授業ではない

 初回の授業を取材するため、教室の扉を開けると、ただならぬ緊張感が漂っていた。この授業に参加したのは、同学3~4年生の学生10人。井藤教授が「人前でしゃべるのが苦手だ、という人は」と尋ねると、3人がひっそりと手を挙げた。「お笑いが好き」だという学生はほぼ全員。ただ「わざわざ見に行ったりはしない。テレビでやっていたら見る」という。「最終回の授業では、全員に漫才を披露してもらうが、心の準備はできているか」と井藤教授が呼び掛けると、学生たちは首を小刻みに、横に振った。

初回の授業で自己紹介する学生(中央)。まだまだ表情が固い

 初回の授業は毎年恒例の「30秒で初対面の相手にインパクトを与える」というワークだ。ゲスト講師として呼ばれたプロのお笑い芸人、シギハラヨシアキさんとお笑いコンビ「ふうらいぼう。」の小西啓介さんに指導を受け、学生たちが自己紹介を披露することになった。誰も手を挙げず、微妙な間が続く中、井藤教授に指名された男子学生が不安そうな面持ちで口火を切った。「運動しなそうと言われますが、中高は剣道部で、部長もやっていました」。

 すると、他の学生も次々と個性的な自己紹介を始めた。「有機化学にハマっています。勉強しながらご飯を食べていたら、間違えてペンを食べてしまいました」「垂れ目で小柄で、優しそうと言われますが、ギャンブル大好き。生涯収支マイナス30万円です」。全員の自己紹介が終わると、学生たちは「緊張し過ぎて疲れた」とぐったりした様子。ゲスト講師からは「キラーワードを大きな声で、聞き取りやすく」などのアドバイスをもらった。

 ただ、初回の授業で井藤教授が教職について語ったのは「漫才づくりを通じて、主体的・対話的で深い学びに対応できる教師を目指す」という目的の説明と、自己紹介の後の「教育実習の時、すぐに覚えてもらえますね」というコメントぐらいだった。教壇に立つことを想定して、子供たちを引き付けたり、理解を助けたりするような話し方のテクニックを解説するのかと思っていた記者は、不思議に思いながら教室を後にした。

「今まで感じてきたこと全てが、つながっていた」

 学生たちはその後、さまざまな課題に取り組みながら、少しずつ打ち解けていった。毎回、何人かのお笑い芸人がゲスト講師として呼ばれ、学生らは講師と組んで漫才の練習をするなど本格的な指導を受けたほか、漫才づくりから少し離れた課題に取り組むこともあった。

プロジェクターに映し出された「OHカード」の人物になり切る課題

 例えば「OHカード」と呼ばれる、いろいろな表情をした人物が描かれたカードを見ながら、自分なりにその人物を解釈するワーク。また、自分に関するキーワードをたくさん書き出してみるワークや、グループに分かれて互いの印象を伝え合い、自分では気付いていない「他人から見た自分」を再認識するためのワークもあった。「芸人の世界では、一人一人の持つ自分らしさを『仁(にん)』と呼ぶ。仁に合わない漫才は観客にばれる」と井藤教授は説明した。

 6月下旬には、学生同士のコンビで初めての漫才を発表。ゲスト講師からの指摘も少しずつレベルアップしていった。「すぐに大きな声で突っ込んではいけない。おかしなことが少しずつ重なって、最高潮になるまで待って」「立ち位置がふらふらすると、お客さんは目移りして聞いてくれない」「最初に答えを出してしまうとつまらない。見せ方を工夫するだけで漫才っぽくなる」――。

 教師の話し方のテクニックにはほとんど触れないまま、とうとう7月上旬、最終回「理-1グランプリ」の日を迎えてしまった。記者が教室に着くと、学生たちは思い思いの衣装で最後の練習をしていた。最後の瞬間までゲスト講師に質問をしている学生、コンビで練習をしている学生……。初日に見せていた不安げな表情とは打って変わって、どの学生からも熱気が伝わってきた。

最終発表会「理-1グランプリ」で漫才を披露する「にらえんどう」の2人

 えんちゃん・にんちゃんの3年生2人組コンビ「にらえんどう」は、ストーリー展開はよいものの、緊張すると声が小さくなりがちなのが悩み。直前の練習でも「いいボケなのに、もったいない」と指摘されていた。本番では、カップルのデートを題材に多くのボケと突っ込みを繰り出し、教室中の笑いを誘った。声のトーンを上げ、身振りも加えたにんちゃんは「怖かった。でも、最後のチャンスだと思ってがんばった」と感想を語った。

 学生たちの漫才が全て終わり、一気に緊張から解放された教室では、いよいよ「漫才作りを教職に生かす」という授業のまとめが始まった。そこで井藤教授の口から飛び出したのは、「私は教師だが、実は、この授業で何も教えていない」という言葉だった。

 「私がしたのは環境を整えることだけ。指導してくれる芸人さんを呼んできたり、(学生の)皆さんがパフォーマンスしやすいよう、教室の机や椅子の位置を変えたりした。この場を『失敗しても大丈夫』という空気にしたら、皆さんは勝手に学んでくれた」。実はこの授業の構成や展開そのものが、子供たちが自ら学ぶ授業づくりのヒントになっており、これこそが井藤教授の意図だった。

 「にらえんどう」のえんちゃんは授業後に「お笑い芸人さんの瞬発力、発声の力強さ、柔軟さに対して何度も驚き、すごいなあと思ったり、周りのコンビのクオリティーに圧倒されて自分たちもがんばらなきゃと焦ったり、全体でがんばろうという空気感に支えてもらったりと、今まで感じてきたこと全てが、主体的・対話的で深い学びにつながっていたことを知った時は心底驚いた。確かにそうだ、という一言に尽きる」と感想を語った。

芸人も教師も、個性を発揮できれば全員が唯一無二

 後日、井藤教授に授業の意図を詳しく尋ねた。「教師の話し方の、例えば大事な話をする時にはワンテンポ間を置くと子供たちは集中する――といったテクニックは、伝えようと思えばいくらでも伝えられたが、それは学生たち自身が、芸人さんの振る舞いを思い出して、自分で探究すべきこと。手取り足取り、答え合わせをするつもりはなかった」と井藤教授は振り返った。

最終回の授業で「環境を作る」という教師の役割を説明する井藤教授

 「学生は受講者でありながら、これから授業を設計していく側になる。芸人さんから話し方のテクニックを学んでほしいのはもちろんだが、同時にあの授業がなぜ、あれだけ熱気を帯び、みんなが相乗効果を生み出すことができたのかを考えてほしい。その感覚を覚えておいて、自分が授業をする時にも、その環境が作れるようになってほしい」。

 井藤教授が授業の中で、特に大事にしていたのは「自分はどういう人間であるか」を考えることだった。学生同士で行った「他人から見た自分」を考えるワークだけでなく、人物を解釈する「OHカード」も、さまざまな解釈ができるからこそ、解釈する人の考えが透けて見えるという点で「自己開示を求められない、安全な自己紹介」になっていたのだという。

 役柄に入り込むコントと異なり、漫才では素の自分が透けて見える。「教師になっても、自分の『仁』に合った授業をしてほしい。自分に合った授業を見つけるには、まずは自分がどういう人間であるかを見つける必要がある」と井藤教授。「自分に合っていないスタイルでは疲弊してしまう。いろいろなタイプの人がいて、いろいろな戦い方があってよい。個性を発揮できれば誰もが魅力的で、全員が唯一無二の存在になれる。お笑い芸人の世界はそうだし、教師も同じだ」と話す。

 「にらえんどう」の2人にも話を聞いてみた。にんちゃんは「スライドで勉強する授業かと思ったら、全然違った。最初は、この授業を選んだことを後悔した」と笑った。それでも、徐々に人前に立つのにも慣れ、声も出るようになった。「芸人さんは声が大きくて、いつも笑っている。困っていたら向こうから近寄ってきてくれて、相談がしやすかった」。

 相方のえんちゃんは「漫才をするのも、誰かとコンビを組むのも初めてだった。芸人さんは何を言っても拾ってくれて、フォローしてくれる。失敗しても大丈夫だという安心感があった」という。「理-1グランプリ」で披露する漫才の台本を、芸人さんが熱心に添削してくれたことも明かした。

 にんちゃんは教師一家に育ち、自分も教職課程を選んだ。「明るくて元気で、面白い先生になりたい。いつか自分の生徒に『漫才をやったことがあるんだよ』と伝えられれば」と語る。「子供たちが話してくれる言葉を、全部受け止めることが大切だと思っている。どんな話を投げてくるか想像もつかないが、それを(受け止めずに)飛ばしてしまうと、不信感を生んでしまうから」。

 えんちゃんが教職を目指したきっかけは、「生物に関することなら何を質問しても答えてくれる、中高の生物の先生に憧れた」こと。この授業を通して「大きな声で伝えたいことをしっかり伝えられたり、子供たちが一歩先に進むための手助けができたりする先生になりたい」と思ったという。「芸人さんは何事も否定をせず、『こんなのはどう』という言い方をしてくれた。そういうところを見習っていきたい」と、将来への意欲を見せた。井藤教授の仕掛けたメッセージは、学生たちにしっかり伝わったようだ。

(秦さわみ)

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