(本紙解説陣が見る 教育ニュース振り返り)千葉大学教育学部副学部長 藤川大祐

家庭教育の下に無策許すな 川崎中1・大阪中1殺害事件

昨年の教育ニュースで最も印象に残ったのは、川崎中1殺害事件と大阪中1男女殺害事件である。格差社会が深刻化する中で、被害に遭った中学生たちは恵まれない家庭環境にあり、地域でのサポートが受けられないまま命を落としている。

川崎の事件では2月、中1男子が河川敷で遺体となって見つかった。家庭は困窮しており、冬休み中から不登校状態で、年長の少年たちから暴力を受けていたのを同級生たちは知っていたが、暴行され命を落とした。

大阪の事件では8月、中1男女が相次いで遺体で発見された。容疑者として40代男性が逮捕さた。被害生徒2人は深夜に帰宅せず街に出ており、家庭環境に課題があったのがうかがわれる。

2つの事件は類似している。被害生徒は家庭以外の居場所を求めて危険な場所に身を置き、そこで事件に遭遇。安全な居場所があれば、事件は避けられたと考えられる。

こうした事件を防ぐには何が必要か。決まって「家庭の教育力」が取り沙汰され、保護者向けに啓発を、となりがちだ。子どもがケータイやスマホで連絡を取り合っているのが問題になると、家庭で利用ルールをつくるという話になる。

だが、たいへんな状況の家庭がかなりあり、親は収入を得るのに精一杯。そうした親は研修会に出る余裕はなく、たとえ何かを学んでも、実行するのは困難。家庭に責任を押しつけて思考停止してしまうのであれば、問題は何も解決しない。

貧困家庭の指標となる相対的貧困率を見ると、子どもがいる世帯では約16%、ほぼ6世帯に1世帯で、増加傾向が見られる。ひとり親家庭では約50%で、特に深刻だ。

労働災害の経験則として知られる「ハインリッヒの法則」によれば、1件の重大事故の背景に29件の軽微な事故があり、300件の「ヒヤリ・ハット」がある。重大事故がいくつかの悪条件が重なって起きるのを思えば、この経験則は他の種類の問題にもある程度あてはまる。家庭以外に居場所を求める子どもが殺害される事件の背景には、殺害には至らなくても暴力等のひどい被害を受ける事件が何十倍もあり、事件にまで至らなくても恐ろしい思いをする「ヒヤリ・ハット」が何百倍もあると考えなければならない。私たちには、川崎や大阪の事件の背後にある子どもたちの状況への想像力が必要である。

平成23年、滋賀県大津市で中学生が亡くなった事件はいじめ防止対策を、24年、大阪府の高校生が亡くなった事件は体罰撲滅策を進める契機となった。だが、川崎や大阪の事件は困窮家庭の子どもを事件被害から守る契機となっているか。残念ながら疑問符がつく。

いじめも体罰も事件被害も、深刻な問題であるのに違いはない。だが、いじめや体罰の問題が基本的に学校の教員に委ねられるべきものと考えられるのに対して、子どもの事件被害は誰かに委ねて済む単純な問題ではない。誰かに委ねるべき問題であれば、対策を進めろとの大合唱の下、それなりに対策は進められるかもしれないが、誰に委ねればよいか分からない問題を社会全体で解決しようとはなりにくい。

貧困家庭の子どもを支える取り組みは、多様に進められている。公的なものだけでなく、NPOや企業の取り組みもある。子どもたちの学習を支えるボランティアを組織したり、地域に子どもたちの居場所をつくったり、電話やメールでの相談窓口をつくったり、安価に通信教育を行ったりといった多くの取り組みが、高評価を得ている。

他方、地域で子どもを見守る民生・児童委員等のボランティアは高齢化が進み、スマホ世代の子どもたちとコミュニケーションをとるのが難しくなっている。

「おもてなし」を掲げ、4年後には五輪を開催する日本だが、ボランティアや寄付といった社会貢献の在り方が、まだまだ根付いていない。近所で助け合う相互扶助もあまり機能しなくなった。

次代を担う子どもたちが健やかに成長できない社会に、未来はない。昨年、私たちは子どもの問題を各家庭に委ねるだけではまずいのを痛感したはずだ。家庭教育の下に、地域の無策を許してはならない。誰もが社会に貢献できる社会、誰もが子どもの健全育成に貢献できる社会をつくることを、28年の課題としなければならない。

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