「PTA不要論」を考える 持続可能な組織の在り方の検討を

「PTAは要らない。国家の意思に連動する保護者組織は、子どもの育ちの過程には不要なものだ。大事なのは目の前の子どもの現実からスタートする、強制力を持たない保護者の活動なのではないか」

少々過激な筆致でPTAの存在意義に疑問を呈したノンフィクション作家・黒川祥子氏の著書「PTA不要論」(新潮新書)が話題を呼んでいる。同氏は「長男では3回、次男で4回と、小中高在学期にPTA役員を経験したが、有無を言わさない同調圧力に巻き込まれ、自発的意思の伴わない活動を仕方なく担わされている」と自身のPTA体験を回顧する。

「任意加入」は有名無実化し、半強制的に押し付けられた役員の仕事の大半が雑用であったり、断れば断ったで保護者同士の人間関係に軋轢(あつれき)が生じたりと、PTAを巡るさまざまな問題は以前から多くの人々が指摘するところであった。それでも解体に至らない理由は、「子供たちのため」「学校のため」という錦の御旗があるからに他ならない。その御旗の前では、仕事や家族の介護といった個人的な事情は斟酌(しんしゃく)されないケースも少なくない。時代背景や家族の在り方が大きく変わり、女性の労働力活用が叫ばれてもなお、「子供のため」にPTAは存在し続けている。黒川氏の主張に賛同する保護者も多いのだろう。

しかし、組織の要・不要を論じる前に、検討すべきことがあるのではないだろうか。1945年に当時の文部省が作成したPTA結成手引書には、「子どもたちが正しく健やかに育っていくには、家庭と学校と社会とが、その教育の責任を分け合い、力を合わせて子どもたちの幸せのために努力していくことが大切である」とその趣旨をうたっている(日本PTA全国協議会資料より)。

現在のPTAの組織の在り方や活動内容は、果たしてこの趣旨に即したものであるだろうか。「これまでずっと続けてきたから」「みんながやっているから」といった、消極的な動機にのっとったものではないだろうか。保護者の多くが嫌々引き受け、嫌々企画する催しが、子供たちの利益につながっているとは考えにくい。

思い切って慣例を捨て、開催する行事を保護者や子供たちの希望が多いものに絞り込んだり、生活スタイルが多様化している点を鑑みて、運営方法を見直してもよいだろう。予算を使って民間企業に運営を委託するという選択肢だってある。

外部人材の活用が難しいのであれば、役員の負担を軽減する効率的な運営方法を考えるべきだろう。実際、グループウェアを活用して会合の回数を削減しているといった取り組み例もあるという。いずれにしても、持続可能な組織の在り方を検討することが重要だ。

学校現場でようやく動き出した「働き方改革」は、多忙化を解消して教員がより子供たちに寄り添った教育を実践することを目的に置いている。PTA不要論を主張する黒川氏の著書でも、子供たちのために「できる時にできる人が無理なく行う」組織の活動は推奨している。「子供たち」を主語にするとどうしても膠着(こうちゃく)しがちな問題が多いが、PTAも子供たちの本当の幸せのために、改革すべき時期にきているのではないだろうか。

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