「不祥事」がもたらす影響 信頼を取り戻し、教育の質向上へ

わが国の工業製品はかつて粗悪品・模造品と言われた時代から、人々の創意工夫と努力により品質を高め、「メード・イン・ジャパン」は良品の代名詞となった。しかし、近年は検査の不正などが相次ぎ、自らブランド価値を下げる事態に陥っている。

中には、全力で再発防止に努めると公言したにもかかわらず、何度も不正を繰り返す例もみられる。なぜこのように劣化してしまったのか。成果至上主義がまん延する中で、最も大切な品質や安全性が二の次になり、顧客を忘れ、内部の都合だけで事を進めようとしてきたつけではないか。日本の産業界、経済界が再び信頼を取り戻すことはできるのだろうか。子供たちが見ていることを忘れないでほしい。

教育界も人ごとではない。いじめの隠ぺい、各地で散見される教員の不祥事。学生スポーツ界で噴出するパワハラ問題、不正入試――元々内在していた問題が、せきを切ったように露見した感がある。

もはや学校は、子供や社会が全幅の信頼を置ける存在ではなくなってしまったのか。産業界・経済界のそれと同様に、子供の存在が置き去りにされている気がしてならない。

さらにこうした不祥事は、解決すべき課題が山積する中にあっても、真摯(しんし)に教育に向き合っているほとんどの学校、教員たちの取り組みに水を差す。

教育界の倫理観の低下は、教員志望者の低下にもつながる。学校が、横行する不正を組織ぐるみで隠そうとする閉鎖的な空間であると感じながら、わざわざそこへ飛び込もうとする志望者がどれほどいるだろうか。問題が解消されないままでは、ますます有能な人材の採用が難しくなり、そのぶん現場の教員たちにしわ寄せがいく。働き方改革を推進しても、この点が解決しなければ多忙感の解消は難しいのではないか。

教育の質の向上を目して構築された新学習指導要領の全面実施が目前に迫っている。その準備に全力を傾注している中で、はしごを外されるような不正が相次げば、現場は混乱に陥り、学校運営への影響も免れないだろう。教育への信頼はさらに失墜し、質の向上など望むべくもない。

「主体的・対話的で深い学び」とは何か、「学びに向かう力」はどうすれば養えるかと、その指導方法に関心が集中しがちな新学習指導要領であるが、まずは教員が本来の業務に専念できる環境を整えることが先決だろう。

日々真面目に取り組んでいる教員たちを、不正や不祥事に巻き込むことのないよう問題の膿(うみ)を出し切り、トカゲのしっぽ切りのような対策で済ますのではなく、根源的な原因を追及することだ。現在の学校システムに問題があるのなら、文科省は大きな枠組みでの見直しも検討してもらいたい。

当然、学校や教員の自覚も重要である。企業は不祥事を起こせば経営責任者が引責辞任し、社会的な制裁を受けることが多いが、こと教育界においては、こうした概念が薄いように見受けられる。だが、子供とその保護者、地域住民、行政と、学校ほど多くのステークホルダーを持つ組織もない。校長をはじめ教員、学校職員は、常にこの視線にさらされているのだという意識を再確認し、襟を正して業務に当たってほしい。教育の質の向上はそこから始まる。