「給特法」を巡る議論 制定までの経緯からみる問題点

「給特法」を巡る議論が白熱している。端緒となったのは、現役の公立高校教員である斉藤ひでみ氏(仮名)が給特法の見直しを求めて始めた署名運動である。過酷な時間外労働を強いられている教員の現状を変えようと、法改正を訴える同氏の元に集まった署名は3万1千筆(10月1日現在)に上る。

同氏と名古屋大学の内田良准教授の共著『教師のブラック残業―「定額働かせ放題」を強いる給特法とは?!』(学陽書房刊)はその刺激的なタイトルと内容からマスコミ各社に取り上げられ、教育現場のみならず多方面から「教員の働き方」への関心が集まっている。

意見の多くは彼らの主張を支持するものである。給料の月額4%を教職調整額として支給する代わりに、超勤4項目を除いて時間外勤務手当・休日勤務手当を一切支給しない、と規定している同法こそ、教員の長時間労働の温床とする見方だ。超勤4項目とは①生徒の実習②学校行事③職員会議④災害下などの緊急措置――で、それ以外の業務は教員の自発的行為と見なされる。9月27日に開かれた中教審の特別部会で、この4項目のほか部活動や授業準備も時間外勤務として命じられるようにする指針案の方向性が示されたが、給特法改正を求める声の高まりが背景にあることは想像に難くない。

一方で、教員の長時間労働問題を全て給特法のせいにするのはどうか、という意見も一部にある。これまで児童生徒のために自らの時間を削り、非生産的な働き方を受け入れてきた教員たちの勤務時間が、果たして法改正だけで短縮されるのかという疑問の声だ。

給特法制定の経緯をひもとくと、1948(昭和23)年の公務員給与制度改革にさかのぼる。拘束時間の長さを鑑み、教員には一般公務員より一割程度高い給与を支給する代わりに超過勤務手当を支給しないことを規定。同時に、文部省(当時)は教員に超過勤務を命じぬよう指導した。しかし多くの教員は時間外にわたって勤務し、給与の有利性も薄れてきたことから、昭和40年代には全国で超過勤務手当の支給を巡って訴訟が起こった。これらの判決には教員の主張を認め「超過勤務手当を支給すべき」とするものもあり、1968(昭和43)年には時間外勤務を評価する「教職特別手当」の支給を盛り込んだ改正法律案を国会に提出するが、廃案となる。3年後の1971年、教員の勤務を「勤務時間内外を区別せず、包括的に再評価する教職調整額を支給し、超過勤務手当制度を適用しない」給特法が国会で成立、翌年に施行され現在に至る。
つまり、半世紀近くの年月が経過しているにもかかわらず、問題の本質は何ら解決していないということだ。給特法は、超過勤務手当を求める教員らと、超過勤務の観念を認めない国との間をとったいわば折衷案であり、うまく着地したようにも見える。しかしこのとき、国が超過勤務を認めない第一の理由である「教員の仕事の特殊性」について深く掘り下げることなくきてしまったために、社会の在り方や子供を取り巻く環境、教員の業務内容が大きく変わってもなお、同じ問題が繰り返されているのではないか。

給特法の議論は大いにすべきである。ただ、法の是非のみで終始すると、本来追求すべき問題を見逃してしまう恐れもある。注目が集まる今こそ、教員のあるべき働き方につながる問題提起を期待したい

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