(円卓)まだ見ぬ次世代を想う

上智大学グローバル教育センター准教授 丸山英樹

 
 平成3年、東京の広告代理店に勤務する若者の自由奔放なライフスタイルを描き、ドラマ化された「東京ラブストーリー」があった。その続編が最近になって漫画誌に掲載され、主人公の2人は、教育と農業に従事しているという。

バブル期には、教員も農家も職業としては魅力的でなかったかもしれないが、身近な日本社会が変化し、主人公たちの価値観も年齢とともに変容したことが想像される。

私たち読者・視聴者は、自らの人生を振り返って、どう感じるだろうか。次世代の人たちのために自信をもって何か残せそうか。

昨年に国連本部で採択された持続可能な開発目標の基礎は、87年の国際報告書で記された「今の自分たちと次世代の人たちの両者のニーズを満たす」選択肢を作ることにある。次の世代の人たちが生まれていない・選択できない状況では、私たちが自分自身や自然環境、経済、社会、文化、政治などを省察して、両者のニーズを満たす選択を模索する必要がある。

多くの場合、それらは両立しがたいため、私たちは、相当にスマートであることを突き付けられているのである。

スマートであるためには、97年から研究が始まり、03年に公表された「キー・コンピテンシー」が示唆に富む。これは、現在のOECD国際学力調査PISAで設定される「学力」の概念を示し、知識・道具の活用、異なる他者との協働、自律性の3つで構成され、中心には省察的思考・行動が位置付けられている。

この能力観では、人が生涯をかけて学び続けることを前提とする。義務教育修了者を対象としたPISAや成人対象のPIAACでは、日本人の「学力」は高いが、多様な学習機会を求めることが少なく、学習の継続には関心が低いことも示されている。

学校は、特定の価値観を効率的に伝承させる機能をもつ。多くの関係者がよかれと思ってさまざまな主張を繰り広げるが、時に主張の間にも力関係が及ぶ。そのため、多数派のメッセージが正当化されやすい。だが、正しいと見えるのは今だけか、そう考える自分自身も変化するのではないかと、まだ見ぬ次世代のことを想い、常に振り返える能力を身につけるべきは、子どもではなく、私たち大人なのだと、25年前のドラマは語りかけるだろう。

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