(円卓)学ぶ喜び知り学び続ける

奈良教育大学長 加藤久雄

「文法嫌い」という言葉があるように、文法の学習を嫌いと思う者は少なくない。例えば、動詞の活用について、「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」の六活用形があることを中学校で学習する。だが、生徒たちは毎日友だちと話すのに、例えば「書く」という動詞の活用を間違えてしまう事態に遭遇しているわけではない。

何不自由なく使用している日本語の活用についての学習をして、何の役に立つのかという発想が先行すると、途端に、「文法」の学習がつまらなくなり、暗記中心の学習に身をまかせてしまうことになる。

改めて考えてみると、動詞「書く」の活用が、「カ(ない)・キ(ます)・ク(。)・ク(とき)・ケ(ば)・ケ(命令)」(カタカナは活用語尾)と、五十音図に沿って母音が「aiue」と変化するのは、美しく、なかなか不思議なことである。

そういう規則性があること自体を、自らの日本語の観察を通じて発見していくのは、実は「学ぶ」基本ではないだろうか。

そして、そのような学習には、一生懸命、山道を登って、山頂に立った時のような達成感が待っているように思う。

そこでは、法則性を発見することにねらいがあるので、「未然・連用…」の名称の理解は、次の段階と区別して考えてもよいだろう。大切にしたいのは、自らの言葉を観察の対象にしていることと、観察を通じて法則性を発見していくという2点である。

ところで、山頂に立ったら、そこから雄大な景色を眺めたい。そうすると、次に登ってみたい山の頂が近くに見えてくる。動詞「起きる」は、「キ(ない)・キ(ます)・キル(。)・キル(とき)・キレ(ば)・キ(ろ・よ)」となり、明らかに「書く」とは違い、「aiue」の変化をしない。「書く」の活用の法則性を発見したのをふまえて、次に、それとは違う振る舞いをする活用の仕方があることの発見が、二つめの山の頂「上一山」である。三つめの山は、「下一山」となろう。

このように、自らを観察することとある発見(学び)が次の発見(学び)へとつながることが、「学ぶ喜びを知り、自ら学び続ける」を育む。そういった当事者意識と連鎖とストーリーのある学びを大切にしたい。文法嫌いがなくなることが、私の山登りである。

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