香川県高松市立国分寺北部小学校長 倉沢均
「小鳥の鳴き声が聞こえますか?」
20年以上前に聞いた言葉だ。今も頭の片隅に大事に置いている。
それは、私が小学校の教員となって11年目。高学年を担当し、宿泊学習の準備をしていた。活動の様子を見たいと思い、記録として残されていた数年前のビデオを見ていた。
木漏れ日の中を、山を登る子どもたち。少し開けた場所でクラスごとに並ぶ様子が映っている。よいしょっ、と腰を下ろす子どもたちは、少しざわついていた。
その時だ。冒頭の言葉を、ある先生が静かに言った。子どもたちは耳を澄ましていた。
それは、静かにさせるための一言だった。
さて、昨年末に中教審がまとめた「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について(答申)」では、「初任者の教員は、指導教員や先輩教員からの指導や助言を受けながら学校で日々実践し、省察・改善を繰り返す中で、教員として成長していく」とある。
私もそのように成長してきたと思う。だから、冒頭の言葉を聞いた後には、似たような場面で何度か使うことがあった。ところが、どうもしっくりこない。ビデオのように子どもに届かないのだ。もちろん、子どもの実態やその場の状況、子どもと教師との関係も異なるのだから、当然ではあった。
ただ、当時の自分には、スキルやノウハウといった知識を獲得して、それを使えばよいという安直な考えがあった。
若い先生方には、大いに知識や技術を学んでほしい。しかし、大事にしてほしいのは、極めて具体的、実践的な現場での経験を通して、プロの技術の奥にある「優れた心得(魂、ハート、スピリッツのようなもの)」をつかむことだ。
そのためには、「記録に残す」習慣を身に付けてほしい。日々の反省点を明確な文章にして、深く自分の課題を見つめる。特に、失敗したときは、最高の学びの機会である。謙虚な心の姿勢を持ち続け、ひたむきに続けること。
時間は要するが、心得をつかむための優れて確実な方法だと思っている。
冒頭の言葉がその先生のいかなる心得から出たものなのか、実は知らない。ただ、今では、私が教師として、人として、最も尊敬する人物の一人であるのは確かだ。
(前香川県教育センター所長)