(円卓)教育に静けさを

京都光華女子大学教授 菅井啓之

この世界は、動と静のバランスで動いている。昼と夜、夏と冬、晴れと雨、活動と睡眠、など、一見対立するものが相互補完的に存在する。

この相依相待の関係がバランスを崩すと、どこかに無理が生じる。今や教育界は、コミュニケーション、プレゼンテーション、ディベート、対話、学び合い、表現力、発信力等々の「動的能力」ばかりが強調されている。アクティブ・ラーニングといえば、グループワークや少人数での活動や討議ということになる。

本当の主体的な学びのエネルギーは、どこから生まれてくるのだろうか。その源泉は、「静けさ」にあるのではないか。

日々の慌ただしい活動中心の生活の中で、どこかで「静かな時と場」を持つことは、じっくりと自己を見つめこの世界をしみじみと見つめ考えるためにも極めて大事である。

子どもだけではない。教師も含めた現代社会の大人すべてが「静けさと親しむ時と場をもつこと」が重要なのだ。

心を落ち着けて、静かにゆったりとすることで、常に波立って騒がしい心の水面が穏やかになり、今まで見えなかったことも静けさの中で浮き上がって来て一気に見渡せることもある。慌ただしく忙しいと、目先の事柄に心がひっかかり、滞ることになる。

よりよい人生を送るための教育であるには、常に風で揺らぐ枝葉を支える、静けさという根っこをしっかりと張っておく必要がある。

足元の草や石ころに目を向けてみる。身近な木や虫・鳥の姿を改めて観察してみる。空に浮かぶ雲や川の流れ、海の波の音、月や星空など自然の営みに注意を向ける。そんな些細なことからでも心の静けさを取り戻すことができる。

学校という場、教育というシステムの中に、人が育つ源泉としての静けさの価値を再認識して、それをどのように確保し積極的に取り込んでいくかは、「動の教育」を推進するためにも、そのバランスとしての「静の教育」の充実が欠かせないものとなる。自然との触れ合いの場や自然と親しむ時間の確保が、より一層重要となる。味の濃いおかずが教育の食卓にたくさん並べられたとき、その分、米のように味の薄い淡泊なものが土台にあってこそ、おかずの味が引き立つようなものである。

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