(円卓)絵を描く喜びの火を

京都市こどもみらい館館長 永田萌

 

童画家という仕事柄から、子どものために絵本を作ったり、児童絵画コンクールの審査員を務めたり、子どもたちといっしょに絵を描いたりする機会は多い。

そんな私が、この夏に見た魅力的な展覧会は、「世界の巨匠たちが子どもだった頃」というものだった。

タイトル通り、ピカソ、モネ、クレー、ムンクといった世界の巨匠、奥村土牛、田中一村、山口華楊といった、私が敬愛する日本画の巨匠たちの幼い頃の作品も展示されていて、とても楽しかった。
ピカソが子どもの頃からすでに天才だったというのは、有名な話だ。バルセロナのピカソ美術館には、10歳以前のデッサンや油絵が多く展示されていて、その比類のないデッサン力、色彩感覚、表現力に誰もが驚嘆する。

画家で美術教師だったピカソの父は、息子の才能が自分をはるかに超えているのに気づき、自らの画家の道を断念し、画材をすべて息子に与えた。それ以後は、息子の教師に専念したというエピソードもある。会場には、ピカソの10代後半の石膏デッサンが展示されていた。歳月に紙は黄色く変色していたが、正確で力強いデッサンは、圧倒的な存在感だった。

展覧会の全作品に共通するのは、幼い天才たちのひたむきな絵を描くことへの情熱だ。

ピカソのような天賦の鬼気迫る才能にも驚くが、それと同時に、無心に絵を描く喜びに胸を打たれる。

そこには、彼らの未知の才能を信じ、守り育て、励ました大人たちの存在があった。誰かが彼らのために環境をつくり、指導し、やがて広い世界へと送り出したのだ。

ピカソは成長するにつれて、父の指導を嫌い、美術学校も退学して、独自の天才の道を歩き出す。優れた教師はいつか生徒が自分を超えると予感する。だからこそ、教えることのできる期間に、全力を尽くす。

わたしも美大生に教える機会があるが、もう彼らに技術を教える必要はないといつも思う。幼い頃に尊敬できる優れた美術の先生に会えたからこそ、彼らは美大に進学したのだろう。天賦の才能をのばしたのは、幼い頃の専門の技術をもった先生たちだ。

私たちにできるのは、少し先を歩く作家として、幼い頃と変わらず、絵を描く喜びの火は消さずに、絵の道を歩んでいるよと伝えることだけだ。

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