(円卓)大村はま先生の作文指導

(公財)教科書研究センター常務理事 辰野裕一

 

教科書研究センターでは昨年、創立40周年記念事業として、小・中学生を対象に「わたしと教科書」をテーマに作文コンクールを行った。全国から多数の応募があり、現在、審査を進めている。

その審査員の1人に大村はま記念国語教育の会事務局長の苅谷夏子氏がいる。

苅谷氏は、わが国の国語教育のパイオニア、故大村はま先生の直接の教え子であるが、私も晩年の3年余り、その謦咳に接することができた。その中から、大村先生の作文指導の基礎になったと思われる2つのエピソードを紹介したい。

大村先生の最初の赴任校は、長野の諏訪高等女学校だった。ある冬の寒い日、生徒たちの作文の束を抱えて職員室に入った先生は、ストーブの前の校長から、「ちょうどいい。それ全部くべちゃえよ」と声をかけられ、とんでもないと激しく首を振った。すると校長は、「そうだよなあ、大村さんにはできないよなあ。でも、いいから毎日書かせろよなあ」と言ったという。

最初憤慨した大村先生は、校長が毎日大量の生徒の作文に取り組む自分の姿を見ていてそれを励ましてくれたのだと後で気付く。「書く力」は書くことによってしか養われない。迷わず、とにかく書かせること、それが校長の教えだったのだ。

大村先生が若き実践家として注目を集めはじめたころ、ラジオの教育番組に出演することになった。自信がないので、一緒に出演する国語教育の大家の教授に相談したところ、僕が合図をしてあげようということになった。

論議が進む中で、うまく発言のきっかけがつかめない。すると突然、背中がどんと押され「うっ」と思った途端言葉が口をついて流れ出した。その後も何度か背中を押されるたびに、大村先生は的確な発言ができ、無事番組は終了した。あのときの「ハマちゃん、ここだ」と背中を押してくれた大きく温かな手の感触は今でも忘れられない、とよく語っておられた。

子供たちに、最初の一行をヒントに与え、作文のきっかけをつかませる有名な「書きだし指導」は、この体験がベースになっているのに違いない。

今回応募のあった作文も、大村先生はじめ多くの先生方のご努力により培われてきた作文指導の一つの成果といえる。

審査結果の発表は1月末である。

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