(円卓)「なぜ」の重要性

都留文科大学非常勤講師 滝井章

 

「なぜ」。人の成長に不可欠な言葉、感情である。これが持てるから解決に向けて人は主体的に考え、取り組み、人と対話しながら追究しようとする。解明にたどりつくことで本質が見える。こうして人は成長し、社会の成長につながる。

「なぜ」がないと、ただやらされるだけの活動になる。そこでは主体性は生まれない。主体性がない環境では対話は生まれない。解決してもそこから本質が見えない。「なぜ」の追究はアクティブ・ラーニングとして重視されている「主体的・対話的で深い学び」そのものである。

社会で通じる資質能力を育てる目的で日々授業に取り組んできた教師にとっては「何をいまさら」だろう。授業が子供たちの将来を支えるどんな力をつけるためのものかを考えず、「教科書にあるから」「学力調査に出るから」で展開されていたら、教師に主体性はない。主体性を持てていない教師から主体的に学ぶ授業など期待できない。主体的に学べていない授業において対話的な学びなど成立するわけはないし、深い学びにたどりつくわけはない。

例えば分数のかけ算やわり算の知識、技能は社会で使うことなどない。その学習を通して子供一人ひとりに社会に出たときに子供を支える力をつけるのが目的なのだ。それが「何のために学ぶか」である。この「何のために学ぶか」は全ての学習内容にある。それらが新学習指導要領に明記されなければ、授業は「何を学ぶか」に偏り「何のために学ぶか」は絵空事になる。

「何のために学ぶか」の視点に立った授業を日々展開していくためには、教師が「子供が成長したときに支えとなるどのような力をつけるのか」との目的を明確に持たねばならない。明確にして初めて教師が授業に主体的に取り組み、対話しながら授業力を高めることができる。その教師の心に灯をつけるのが新学習指導要領である。
指導内容や領域、観点等が変更になったとき、それらが子供一人ひとりが社会に出たときに求められるどんな力の育成につながるかが明記されなければ、教師が主体性を発揮して授業に取り組むことは期待できない。アクティブ・ラーニングを掲げている以上、新学習指導要領は教師が主体性を発揮し、対話しながら考え合える授業力を高めるものであるに違いない。今から期待でワクワクする。

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