(円卓)学ぶ意味

岡市教育センター所長 瀧浪泰

 

「瀧浪先生ではないですか」「はあ、そうですが」。15年ほど前になるが、市役所のエレベーター前で女性に突然話しかけられた。彼女は、新任校時の生徒だった。

「私、中学の時に先生から社会科を教えてもらいました。歴史の授業でガンジーのところでクラスの子が笑ってバカにしたのを先生がとても怒ったのを覚えています。その時はなんであんなに怒るのかなって不思議だったんです。でも今、自分も子供を育てて、先生がなぜひどく怒ったのかよく分かります」

手をつないでいる娘さんの年格好から、彼女は中学を卒業して20年ほど経つのだろうと想像できた。

それにしても、驚いた。母親となり子育て中で、娘さんをしつけている人として大切なことと、20年前の歴史の授業がつながっている。彼女は20年という時の中で「非暴力・不服従」の精神に慈愛の心を見いだしたのかもしれない。彼女が、単に知識として記憶するのではなく、自分の生き方や信条と重ねられたことに尊敬の念を覚えた。学ぶ意味は、その人の生き方に乗じて昇華する場合があると教えられた。

今、教育も第四次産業革命の中で大きな転換期にある。そんな時代だからこそ、教員が人を育てる信念をきちんと持って授業や日々の指導を行うことが大切であると思う。

人として許せないこと、大事にしなければならないことを自身の心棒として確立していけるように、子供や保護者や地域に学び、先輩や同僚と磨き合って学び続けることが必要であると思う。

先日、「静岡『学び合い』の会」の水野大輔事務局長と話す機会があった。小学校5年生の国語の授業で、児童が書いた推薦文を紹介していただいた。一部を抜する。

「『学び合い』を推薦する理由は、できない子がいても見捨てないということです。みんながめあてを達成すると自分もできない子に教えたので、すごく喜べます。幸せな気持ちになれる『学び合い』を皆さんやってみたくありませんか」

また保護者からは、朝5時に起きて予習をするわが子の激変を感謝する声もあったという。単に学習目標を理解するだけではなく、みんなのためにという有用感が学びに向かう力となっていることを改めて教えられた。そして、学ぶ意味を子供が自覚している本物の学びだと痛感した。

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