(円卓)詰め込み文化

北海道立教育研究所副所長 前川洋

 

昨年、私は2つの国の学校を訪問し、協働や批判的思考などをキーワードに、さまざまな資質・能力を育む優れた取り組みを学ぶことができた。

一方、数学や理科の授業を参観しているときは、日本の方が指導内容のレベルが高いと優越感に浸っていた。

その愚かさに気付かされたのは、昨年12月に示された次期学習指導要領の答申を読んでいるときであった。

答申からは、「生きる力」を一層具体化するため、育成を目指す資質・能力を3つの柱で整理し、「知識・技能」に偏ることなく、バランスよく育てようという意図が読み取れた。

社会が加速度的に変化し、予測が困難になる中で、さまざまな資質・能力の育成を目指すのは世界共通の課題と考える。

しかし、多くの学校現場では、いまだに「知識・技能」の習得に追われ、その他の資質・能力を育む余裕がほとんどない。学習指導要領だけが先に進み、学校現場とかけ離れていくように見える。後れを取るなと学校現場を激励するだけでよいのだろうか。

答申では、指導内容の削減は示されていない。指導内容が多いと、「知識・技能」を習得させるのに時間がかかり、その他の資質・能力を育む時間を圧迫する。育成する資質・能力に順序性はなく、「思考力・判断力・表現力等」を育成しながら「知識・技能」を習得させることもできるが、限られた時間の中で学校現場に「あれもこれも育成しなさい」というのは、少し酷な気がする。

小学校における外国語の教科化やプログラミング教育の実施も、他の教科等の指導内容や授業時数をそのままにして進めるらしい。

こうした「詰め込み」は、日本の文化なのであろうか。かつてのいわゆる「ゆとり教育」では、指導内容と併せて授業時数も削減したため、真の「ゆとり」を生みだすことがほとんどできなかった。このときも、「詰め込み」という文化が、無意識のうちに働いていたような気がする。

「ゆとり」なくして、新たな時代に必要な資質・能力を育むことは難しい。

他国の指導内容に、優越感を覚えるような「詰め込み文化」を絶ち、指導内容のレベルを抑えてでも必要とされる資質・能力を育もうとする他国を見習うべきときが、いま、来ているのではないだろうか。

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