(円卓)全てに向かう力の育成を

(一社)日本教育情報化振興会会長 赤堀 侃司

他紙で恐縮だが、11月下旬の朝刊に、第2反抗期のない子供たちが増えているという記事を読んだ。少し、ショックだった。少しという修飾語を付けたのはそのような予感があったからだ。中学生や高校生という思春期に反抗期がなく、親とまるで友達のように、学校の帰りに、一緒にショッピングして帰ろう、とかのメールを出して、仲良くしているという。いいではないか、という声が聞こえそうで、反論はしない。

どうも昨今の若者が、昔と違い覇気がない、若者らしくない、妙に優しい、などソフトなイメージに変わってきた印象がある。読者の皆さんも、同感されるのではないか。

記事では、ほめて育てることが、優しい子供に育った原因ではないかという分析をしていたが、その是非は、論じていなかった。

数年前まで大学の教員をしていた経験から、学生は授業に欠席しない、遅刻や早退もなく、分かっていなくても真面目に授業に出る。将来の夢は、そこそこ生活できればそれで十分で、海外に一人旅しようとか、車で日本一周しようとか、そのような話は聞いたことがない。

卒業式はもちろん、入学式などの行事には親も、場合によって祖父母もやってくる。つまり幼稚園や小・中学校のようなイメージである。社会に出ても、ライバル社との競争を避け、管理職を避け、海外勤務を避けるのも無理はないだろうと納得したが、果たしてこれで日本の将来は大丈夫だろうか。

総務省が促進している、若年層のプログラミング教育に関わって感じたことがある。どの子供たちもプログラミングは、本当に難しく長い時間がかかったが、とても面白かった、という感想を述べたことである。問題が易しかったから、先生がほめてくれたから、簡単だったから、面白かった、と述べているのではない。難しいから、面白い、と言っているのである。

子供たちは、難しい課題に取り組むことは、苦しいだけではなく、楽しく面白いという発見をしたのである。そのような子供たちの表情は、輝いている。自信が付いている。先に述べたように、近年の教育は、難しさを避け、優しさを求め、ほめることを中心に指導してきた傾向がある。文科省は、学力の要素として学びに向かう力を定義したが、全てに向かう力が今、求められている。

関連記事