(円卓)「To Be」の教育としてのESD

日本ユネスコ協会連盟顧問 米田 伸次

今後、社会は急激な変化が予想されている。そうした中、現在の小・中・高校生は、50年後も社会の中心として活躍しているはずである。持続可能な開発のための教育(ESD)は、急激な変化を生き抜いていく人材を育てるのに、どのような役割を果たすのかを考えたい。

これまでESDは「未来を創る教育」「価値観を育む教育」などと称されてきた。しかし50年後をどれだけ視野に入れてきただろうか。さまざまな持続不可能なグローバルな課題を抱え、未来を見通せない不確実な現在、50年後を見通すことがどれだけ可能なのだろうか。

哲学者エーリッヒ・フロムは、1977年に刊行した著書『生きるということ』の中で、これまでの「所有価値」(To Have)の偏重から「存在価値」(To Be)重視への価値観の移行を提起している。これまでは「所有」する生き方を絶対視するあまり、人間や自然の価値、命ある存在として捉える生き方、視点を軽視してきた。その結果、さまざまな持続不可能な課題を社会に生み出す結果になってしまった。

ユネスコが教育の将来像を展望した報告書『未来の学習』(Learning to be)を世界に提唱してから四半世紀後の1997年に、この報告書を踏まえ、21世紀の教育の在り方を示した報告書『人間開発のための教育指針・勧告』を発表、この中で「学習の四本柱」を提起している。ESDではこの「四本柱」を学習の指針とし、中でも第3項、「共に生きることを学ぶ」(Learning to live together)と全体総括としての第4項目「在ることの学び」(Learning to be)を重視してきた。

1970年代からユネスコが一貫して提起してきた「To Be」はESDの学習の指針として取り上げられることによって「自分を他人のために存在させる」「持続可能な社会づくり」のための教育という新しい目的、方向性を与えた。

近年、ユネスコでは新しい五本目の学習の柱が模索されつつあるという。その一つが「社会を変革させるための自己変革の学び」であるが、ここでの、自己変革とは他者によってではなく、自らを主体にした自らを変革させる(transform)学びとして捉えられている点が注目される。

「To Have」から「To Be」の文化の創造へ。「50年後を見据えたESD」には、新しい教育の哲学・倫理の概念としての捉え方が求められているように思う。

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