(円卓)論争が影を潜め、多様な解釈が

東京大学大学院教授 市川 伸一

1998年に告示された学習指導要領は、完全週5日制の実施、大幅な教科内容削減、総合的学習の時間の導入、中学校での選択教科の増加などが盛り込まれ、「ゆとりの集大成」といわれた。間もなく起こった学力低下論争の中で、この学習指導要領の是非が国民的な議論となったのは記憶に新しいところである。

論争の名残があった2001年から、中教審の常設部会として教育課程部会が発足し、私もそのときから現在まで委員を務めてきた。当時、中教審や文科省は早くも次の改訂に向かって審議を進め、教科学力の向上を優先しつつも、「生きる力」の継承や、「習得・活用・探究」というバランスに配慮したキーワードを掲げた。

「自ら学び自ら考えること」を重視するあまり、教師が教えることに対して躊躇(ちゅうちょ)や抑制が起こったことについては、中教審答申の中でも反省や注意が促された。その過程において、多くの自治体や学校が学力向上策を取るようになり、PISA調査でのV字回復や、全国学力調査にみる学力の地域間格差の漸次的縮小が起こっている。

基礎基本の知識を大切にしながらも、生活への活用、生きる力の育成などに配慮した08年告示の学習指導要領では、賛否の論争はほとんど起こらなかったといってよい。さらに、16年12月の中教審答申、17年3月告示の新学習指導要領もこの流れの中にある。

この流れに対して、反対論はほとんど出ていないようにみえる。

しかし、解釈や実践がまちまちということはないだろうか。つまり、答申に使われているキーワードだけが利用されて、思い思いの解釈が生まれているようにも見受けられる。

例えば、ひところ言われた「アクティブ・ラーニング」、最終的な「主体的・対話的で深い学び」について言えば、探究的な学習のみを指すものとみなされてしまうことがある。あるいは、教師の教授行動を排除するような極端な捉え方も少なくないようだ。

授業の中、単元の中、さらに教育課程全体を通じてのバランスに配慮することで、習得・活用・探究にわたって「主体的・対話的で深い学び」を目指してほしい。

論争が影を潜める一方で、偏った実践だけが広まっていくことにならないよう切に願っている。