(円卓)過度な私事性への違和感

筑波大学教授 吉田 武男

高度経済社会を経た80年代から、「こころ」がクローズアップされるようになった。

現在では、「こころの病」といわれる病名以外に、「こころの傷」「こころの闇」「こころの教育」などの「こころ」に関する言葉が、マスコミや社会で盛んに使われている。マイルドな宗教のように、宗教色の薄い日本で、「こころ教」がまん延している。

最近でも、「自己」「自分」などの言葉に変えながら、個人の「こころ」、つまり私事的な虚構の世界に浸る「こころ教」の風潮は衰えるところを知らない。「本当の自分」「自分への気付き」「自己実現」「自己肯定感」などの言葉が氾濫している。

とりわけ、最後の二つの言葉は、現在の教育界や教育学研究の中で、まったく正しいものとして自明視され、金科玉条のように使用され続けている。

そこでは、「自己実現」の主張者で有名なマズローの「自己実現は若い人には生じない」という重要なメッセージは無視されている。

また、「自己肯定感」という用語についても、全面否定すべきものではないが、文化的・宗教的に異なった地域で生まれた価値基準だということが、忘れられている。

「無我」や「空」の概念を持ち合わせていない、原罪思想を基底に持つようなキリスト教文化圏の価値基準に、どうして全ての国民の生き方が左右させられるのか。ましてや、自分中心で、自己評価を大切にする文化と異なり、他人の評価を気にする風土の国民にとって、その基準への従順は、一方でよい効果もあるが、他方では悪い影響も必ずある。

特に日本では、「日本の高校生は、自己肯定感が低い」という言説が、アンケート調査の結果として紹介され、青少年の危機があおられる。そこでは、日本の高校生は、たずねられると、「自己肯定感が低い」という回答をしているだけなのに、「低い」というレッテルが貼られ、「高める」ことが求められる。

あまりにも、私事的な「こころ」や「自己」への執着は、「利他を大切にする文化を利己主義に変質させないか」「内向き、下向き、後ろ向きの若者を育てていないか」など、その副作用も考えてみてもよいのではないか。

少子化社会の大きな根元原因になっているような気がしてならない。

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