(円卓)ESDはもう終わったの?

(公財)ユネスコ・アジア文化センター・シニアアドバイザー 柴尾 智子

「ESDはもう終わったの?」という、関係者には刺激的なタイトルのイベントが先日、岡山市で行われた。岡山市といえば、おそらく全国で唯一ESD(持続可能な開発のための教育)を推進する条例を持つ、ESD先進地の一つだ。

これまで行われてきたESDカフェに、SDGs(持続可能な開発目標)を掛け合わせる企画の第一弾で、市内外からの多くの参加者が集まり、お互いに刺激を受け合ったようだ。こういった企画が生き生きと成立するのが「持続可能な社会の担い手」としての意識が地域に広がっていることの証しだと思う。

一方、SDGsは、使ってみたいと思わせるカラフルなロゴも奏功して、「誰一人取り残さない」普遍的な17の目標として急速に普及している。特に企業においてその勢いが強いのは、「狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く、人類社会発展の歴史における5番目の新しい社会Society5・0の実現を通じたSDGsの達成を柱」として「企業行動憲章」を改定した経団連の姿勢に象徴される。

SDGsは目標、ターゲット、指標をセットとする体系を持っている。ESDに比べてわかりやすいSDGsが世界的に合意されたことで、「ESDはもう終わったの?」との問いには、むしろこれからが本番と答えたい。SDGsの枠組みと共にESDを広め、深めることなしにSDGsの達成はできないからだ。

環境保全と経済成長のバランスは、ひょっとするとAIの進展によってある程度最適化できるかもしれない。しかし、人間一人一人の尊厳を大切にすることを含めた、持続可能な開発に関する価値観と行動の変革は、一人一人の学びと、学び合いによってしか達成できない。

SDGsが目指す世界像は美しく包括的だが、現実は分断と矛盾に満ちており、ESDが育てるスキル、価値観と行動様式なくして、SDGs達成のための協働は生まれない。

世界のどこを切りとっても「世界」という場所はない。持続可能な社会を担うためのスキル、価値観、行動様式は大人、子供を問わず「世界」を構成する学校を含む「地域」で学ばなければならないし、それらは、日々の「稽古」、つまり実践を通じて強化されていく。この学びと実践がESDだといえるだろう。