(円卓)解釈上手、組み立て上手を目指す

奈良教育大学学長 加藤 久雄

掃除機や冷蔵庫の広告に人工知能・AIの文字が躍り、AIの発達に伴い失われる職業が話題になる。

携帯電話に搭載されているAIを駆使した情報提供機能は、「今、何時ですか?」の問いかけに「何時何分です」と音声で答えてくれる。深夜に「おやすみなさい」と言ってみたら、「もうこんな時間なのですね」と返ってきた。「奈良にあるおいしいお店は?」と尋ねれば、たちどころに検索結果が示される。便利な機能を通じて確実に日常生活にAIが浸透しつつある。

しかし、AIが万能ではないことも指摘されている。先のお店の検索結果は、「奈良にあるおいしくないお店は?」と尋ねても同様のものになるという。文で尋ねても単語をキーワードにして検索しているからで、現時点の身近なAIは文を意味解釈するまでには至っていないようだ。

九官鳥を飼っていた時、「おはよう」「こんばんは」といくつものコトバを覚えさせた。しかし、「桜が咲いた」というコトバをお覚えた九官鳥に「梅」を覚えさせても、「梅が咲いた」と言い出すことはない。

人は「桜」と「梅」を入れ替え「梅が咲いた」を作り、「ない」「ている」「は」「桃」を部品に加え「桃は咲いていない」を組み立てる。言語の二重分節性である。

AIとのお付き合いを通じて単語の大きさの言語活動をしていると、どんどん文を組み立てるということが下手になってしまいかねない。

携帯電話でのテキストチャットが単語の応答に終始しているのであるならば、人間にとって危険信号なのかもしれない。さらには単語など不要でスタンプという奥の手も用意されている。

しかし、見た目には一つの単語であっても、リアルには文であるのが人間の言葉である。一語文の世界である。「蜂!」は「蜂が来た」であり、「かわいい!」は「あなたのその洋服はかわいい」なのである。

発話は一単語でも意味解釈は文であり、単語を文に組み立てることが「理解」だといえる。

全員が理解上手になれば、全員のコミュニケーション能力があがる。九官鳥にはできない技、AIが苦手とする技を大切にし、解釈上手、組み立て上手を目指したいものだ。その先には文章と論理が待っているのだから。