(円卓)創造性を発揮できない教師

東洋大学教授 下田 好行

学習指導要領が改訂された。目玉は「主体的・対話的で深い学び」の授業改善である。日本の教育は金太郎アメだと言われる。「どこを切っても同じ」という意味である。教科書が同じであれば、ある時期の北から南、どこをとっても同じ授業が展開されている。つまり、教科書をなぞり解説する授業が行われている。「主体的・対話的な深い学び」はそうした日本の授業の閉塞(へいそく)状況を打破するために導入された。

現在、教師の多忙化が問題となっている。教師は教材研究や授業の準備の時間が取れていない。多忙化は、教師が授業を創造しようとする意識にブレーキをかけている。筆者は教師の多忙化に加え、観点別評価も教師の授業づくりの創造性を奪っていると考えている。

それは指導要録に観点別評価を記載することから始まった。教育委員会は保護者への説明責任を観点別評価でしっかり行うように通達している。教師が保護者に自信を持って説明できるか不安なのであろう。業者テストを頻繁に用いるようになった。業者テストは、観点別評価もできるようになっている。その結果、教師はテストの丸つけに追われることになる。ドリルも同じである。教師はますます多忙になり、授業準備や教材研究の時間がなくなっていく。

業者テストは子供の学習時間をも奪っている。テストの実施は1時間はかかる。1時間あれば、子供を「深い学び」に誘うこともできるはずだ。かくして学校の授業は、教科書の解説とドリルとテストで占められ、教育は、その本質を見失っていくのである。この状況では、教師は自由に授業づくりできない。パターン化した授業では、教師の創造性が発揮されない。教師が創造性を発揮できないのに、子供が創造的になるはずはない。

「主体的・対話的で深い学び」は、グローバル化の進む知識基盤社会を生き抜く能力を育成するために導入された。知識はもはや教育の目的にはならない。知識を道具として活用し、現実社会のコミュニケーションの中で使っていく。知識と知識を組み合わせ、新たな知識や価値を生み出していくという趣旨だ。創造性を培う学びと創造性を奪う評価が混在している現在、教員は見えないカリキュラムに縛られている。現実を見据えぬ机上の空論は、教育の本質を見失う。犠牲となるのは子供である。