(円卓)本質を見逃さないように

【お詫び】表現に誤りがあり、当該箇所を削除しました。深くお詫びいたします。(編集部 2018/08/05)
都留文科大学教養学部特任教授 滝井 章

先日、電化製品関係の仕事をされている方と話しているとき、ドキッとさせられることがあった。

「機能がいろいろ付いている製品を買いたいというお客さんがよくいるのですが、機能が付く分故障しやすい、修理代がかかるということを分かっているのですかね」

思わずうなずいてしまった。「機能が付く」=「価格があがる」面だけではなく「故障の危険性が高まる」という面からも捉え、本質を見抜く目を持つ重要性を再認識した。

考えてみると、目立つ一面にとらわれ、その裏側に目がいかない例は多々みられる。電話番号を何件記憶しているだろうか。携帯電話、スマホに依存するあまり、記憶している電話番号の件数が激減しているとすると、記憶力自体が低下しているかもしれない。カーナビに頼ってばかりいると、方向感覚、論理的思考力が低下しているかもしれない。自動ブレーキに頼ると注意力が衰え、他の場面で大事故を招くかもしれない。

目立つものにとらわれて本質を見失うことは昔からよくある話である。某国で大事な米を食い荒らすスズメは害鳥であるので駆除せよとの命を受け、従った結果、翌年に何が起きたかという話は典型例であろう。結果は、読者の皆さんの想像にお任せする。

便利になったことにより低下を招いているものとして体力が挙げられる。その受け皿として、ジムの利用が一般化している。低下を招いているであろう思考力については、対応がなされていない。今後AI化が進めば進むほど、思考力が求められる機会が減り、衰えることが容易に予想できる。

それだけに、社会で求められる、社会に出て生きる思考力を育成するという学校教育の果たす役割はさらに大きくなる。

学校教育界には一般社会とずれている面がある。その代表例が計算力である。学校教育界で育成するとしている計算力は四則演算を指す。一方、一般社会で求められる計算力は多面的に捉えた上でビジョンを立てシミュレーションする力である。

次期学習指導要領実施が迫る今だからこそ、何のための誰のための学校教育かという目的を改めて問い直したい。