(円卓)子供たちの学びを改革

埼玉学園大学教授 梅澤 実

新学習指導要領の完全実施が迫っている。この改訂は、これまでの知識観、学習観の変革が教師に求められている。

教育改革は、決してトップダウンで実現するものではない。改革の具現化は、一人一人の教師の実践にかかっている。教師の役割の一つは、子供たちにとって魅力的なモデルとなることだが、今、改めてそのことに思いをはせる。

そこで二人の実践者の言葉に耳を傾けてみよう。倉橋惣三と斎藤喜博である。倉橋惣三は、わが国の幼児教育の理論と実践を主導した人であり、斎藤喜博は、一貫して授業を追究してきた人である。

斎藤は「人間は誰でも、(中略)自分をより豊かに成長させ拡大し変革していきたいという願いを持っている」と言う(『教育学のすすめ』)。教育実践は、教師のそうした信念からスタートする。さらに、教師のありようを二人は語る。

倉橋は、教師は子供と「同じに、物を見、物に驚くこと」が必要であり、すべての物質が、「それ自体振動することによって、他を響かせ」るように、教師もまた「自ら熱し、振るいつくような態度をもたない」かぎり、子供を促すことはできないと説く(『倉橋惣三選集 第5巻』)。

斎藤は、授業を「創造的な仕事」とし、それは「創造的な教師」によってできることとして、「創造的な仕事を積み上げていくことによって、自分の可能性を引き出したり、自分を変革したりしていくことによって」なされると言う(同上)。

二人が語る教師像は、いわば、教師としての「主体的・対話的で深い学び」の本質を体現したものであり、子供たちにとっては教育目標の具現化となる。だから、子供たちは、そんな教師の話を聞こうとする耳を育て、他者と対話することの本当の意味を学ぶことになる。

道徳科、英語科、プログラミングと課題は山積している。しかし、そんなときだからこそ、「子供たちにとって、その教科の存在する意味は何か」「指導内容は子供たちにとってどんな意味を持つか」と根本的な問いを発しつつ実践し、実践を振り返ることが、一人一人の教師に求められているのではないだろうか。

そうした問いが、実践の振り返りを技術や方法といったものにとどめることなく、子供たちの学びとその評価に目を向けることになる。