(円卓)教え、導くものの姿勢

元東京家政学院大学教授 長谷 徹

私が大学3年生で教育実習に取り組んでいたときのこと……。

その最終日に、指導教官から教師の大切な姿勢として「教えるとは希望を語ることであり、学ぶとは誠実さを身に付けることである」とのフランスの詩人の言葉が贈られた。

教官からはその言葉の意味や内容についての説明は何もなかったが、なぜか心の奥に響いた言葉だったのである。

作者の真意とは異なっていると思われるが、私なりに「教えるとは希望を語ること」について述べてみよう。

「前向きに生きよ。積極的に生きよ」ということであり、子供たちに対して明日への夢や希望を語れるような、そして子供たちが夢や希望を持てるような教育の姿勢を持ち続けることが教える者としての使命であると捉えたのである。

また「学ぶとは誠実さを身に付けること」については、「教師となっても常に真摯(しんし)に学ぶ姿勢を持っていなければならない」と捉えた。人を教える立場としての戒めを表現したものと理解したのである。

こうした考えを持って、これまで小学校の教師、行政の一員、大学の教員と立場は変わっても、常にこの姿勢を基本に考えて仕事に取り組んできたと自負している。

今の学校現場をみてみると、果たして、教師が夢や希望を語れる環境にあるだろうか、誠実に学ぶことが可能な状況にあるだろうかと、少々不安に思われるのである。

定められた期限までに処理しなければならない事務処理的な仕事が多く、それも子供たちの顔を見ながらではない。パソコンの画面を見ながらの仕事に、学校にいる時間の多くを費やされているのではないだろうか、と危惧する。

また、学校に期待されている教育の内容も多岐にわたってきている状況がある。こうしたことに誠実に対応しようと考えながら、教育の在り方などを誠実に学ぼうとしても、時間的なゆとりがない。そのために、不十分な取り組みの状態で終わってしまう、ということも現実であろう。

私は、教え、導く者の姿勢として、50年前に教育実習の指導教官からいただいた「教えるとは希望を語ることであり、学ぶとは誠実さを身に付けることである」という言葉をこれからも大切にしていきたいと思っている。