(円卓)教師の主体性と発想の転換が必要

東洋大学教授 下田 好行

小学校の新しい教科書が検定を通過した。朝日新聞は「先生に親切設計」との見出しで、授業の進行の仕方と時間配分、児童への発問や板書例も教科書に記載されていると報じた。現在、学校現場には若手教員が多く、授業の指導技術の伝承が難しくなっていることへの配慮である、としている。また、新学習指導要領の目玉である「主体的・対話的で深い学び」に対応して、本文を対話的に記述する会社もあるという。

しかし、教科書会社も「主体的」や「深い」については悩んだそうである。そもそも「深い学び」とは何か、よく分からない。新学習指導要領はOECDのキー・コンピテンシー(鍵となる能力)や、PISA型リテラシーの能力観が根底に流れている。PISA型読解力でいえば「熟考・評価」、相手の考えを踏まえた上で自分の意見を論理的に表現することである。こうした思考はメタ認知、鳥瞰(ちょうかん)的・全体的な視点から枠組みを問い直すものだ。学習指導要領ではこれを「多面的・多角的なものの見方・考え方」として表現している。

今、現場では教科書を中心に授業が進められている。学習指導要領は分からなくても、教科書さえ知っていれば教師は務まるのである。その上教科書には教師用指導書も付随している。多くの教師は、年間指導計画や授業の進め方もこの指導書を基にしている。現に学校の授業研究会で、教師用指導書と同じ授業をしている教師を見る。

よく日本の教育は金太郎あめだといわれる。「どこを切っても同じ」という意味だ。日本全国、教科書が同じであれば、同じような授業が展開されている。若い教師に限らず多くの教師は、自分で教材に向き合わず、人の授業のコピーをしているわけである。これでは多面的・多角的なものの見方・考え方を育てられない。

知識と知識を組み合わせ、新しい知識や価値を創造するのは無理である。教師自身が考えていないからだ。親切すぎる教科書は、危険である。教師が自分で考えなくなってしまう恐れがある。教師が主体的に教材研究と授業研究に取り組んでこそ、子供の主体的な学びや深い学びは創られていくのだと思う。

新しい時代の教育は、教師のこうした主体性と発想の転換にかかっている。働き方改革を含めて、今、学校現場は発想の転換に迫られている。

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