情報社会を生きていくための資質・能力が情報活用能力である。「情報社会」あるいは「情報化社会」といった言葉が現代社会の特徴とみなされるようになったのは1980年代にさかのぼる。40年以上も私たちは情報社会を生きていることになる。パーソナルコンピュータが普及し、インターネットにつながり、携帯電話・スマートフォンでいつでもどこでもやりとりし、クラウドで協働作業をし、生成AIと対話する。情報技術の発達は、私たちの日々のコミュニケーション、仕事の仕方、日々の暮らし、そして学習を大きく変えてきた。従って、情報活用能力は時代に応じて変化するものととらえるべきである。ある子どもが小学校1年生のときに重要だと考えられたことが、高校3年生になる頃には変わってしまうかもしれない。ましてや、その後の社会で生きていくことを考えれば、未来を先取りして学ぶくらいが、ちょうどよい。
「学習の基盤となる資質・能力」の1つとして情報活用能力が言語能力、問題発見・解決能力とともに列挙された学習指導要領が告示されたのは2017年のことである。プログラミング教育が導入され、高校では情報1.が必履修となり、25年の大学入学共通テストから入試科目になった。その間、コロナ禍があり、GIGAスクール構想があり、DXの推進が叫ばれ、生成AIがブームになった。24年3月に 文部科学省の会議資料として公開された「情報活用能力に関する意見交流会」のまとめでは、学習の基盤としての位置付けや指導の程度が不明確といった問題点を指摘した上で、①デジタル技術の活用に焦点を当てる②広く「情報」全般を取り扱う幅広い概念――として整理する2つの方向性が提案された。ここで問題とされているのは、情報活用能力の範囲をどう規定するかである。
タイピングや基本的なアプリケーションの操作ができること、多種多様な情報を集め、整理・分析すること、状況に応じて情報の表現を工夫して伝達すること、プログラムを作成して問題を解決すること、情報に関する権利を理解し、適切に行動すること、情報社会のさまざまな問題を理解し、安全に生活すること、これらは全て情報活用能力に含まれる。大別すれば、情報を入手し、編集し、アウトプットするまでの「情報」の活用に関する側面と、コンピュータやオンラインサービスなどの「情報技術」を理解し、適切かつ効果的に活用する側面がある。前者は教科横断的に学習を支える方法知の側面が強く、後者は情報科学や情報社会に関する内容知が欠かせない。そしてそのいずれもが、情報技術の進化の影響を受けるため、系統立てて学ぶことと、進化に合わせたアップデートの両立が求められる。
携帯電話からスマートフォンに移行する際にマニュアルを熟読する人がほとんどいなかったように、日々の学習の道具を活用するスキルは、日常的に活用する中で育まれていく。その上で、各教科あるいは教科横断的な学習過程に着目し、学習の質を高める情報活用の方法知としての指導が重要である。情報の収集、整理、表現にかかる労力はICTで劇的に軽減された上、生成AIはその代行すらできるようになりつつある。アップデートされていくテクノロジーを活用できる環境を確保しつつ、学習者自身が情報活用の質にこだわる意義や目的意識を見いだせる学習課題の設定など、授業づくりの工夫が鍵となる。
一方、フェイクニュースやバイアスといった情報メディアの特性や、コンピュータ上のプログラムやAIの仕組みなど、一定の内容知が求められるものは、既存教科で扱うにしても、新設の教科や時間を設けるにしても、学習内容として明確化すべきであろう。その際、現在の学習指導要領の改訂サイクルでは未来の先取りどころか、現時点で起きている事象に追い付くことも難しく、デジタル教材や授業アイデアの共有で対応しているのが実際のところである。その結果、私たちが向き合うべき新たな課題に対する関心の高い教員の取り組みに限られ、公教育全体として対応できているとは言い難い。23年7月に公表された「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」のように、機動的に改訂することを前提とした時間や内容領域を教育課程の中であらかじめ確保しておくことはできないだろうか。
変化の激しい社会に柔軟に対応できる子どもたちを育てていくには、情報活用能力の育成を含めた教育課程自体にまず、柔軟さを求めたい。