一般社団法人信州親子塾
学校において評価の高い先生は、自分の理想とする子供の姿に近づけることが上手だったり、学校という価値観の中で優秀な人材を育てることに長けていたりする。学力テストの結果を上げることを目標にすれば、いかにうまく教えるか、いかに問題を解く力量を身に付けさせるか。思いやりのあるクラスを目標にすれば、人に何をしてあげられるか、誰も一人にしないために何をするかなどが、その基準となる。
HSCが何に対して敏感かは、人それぞれ違う。
イギリスの「ウォーノック報告」という障害児・者の教育調査委員会(1978)の報告書で、「特別な教育的ニーズ」という概念が使用されるようになった。その指摘は、
学校教育においては、「何を身に付けるか」「何ができるようになるか」といった、目に見えるものを評価しがちである。これまで学校も親も、IQを重視する傾向が高かった。しかし、HSCの行動は「自分がどうありたいか」「自分がどう感じているか」から始まっており、EQ(Emotional Intelligence Quotient)を大事に生きている。
人が無意識レベルで信じていることを信州親子塾では「観念」と呼ぶ。HSCは自分の感覚に正直であるからこそ、観念的な「こうすべき」に非HSCより過剰に反応する。そう考えると、HSCを理解するためには、大人が自分の中にある観念に気付くことが必要だ。子供の行動を問題だと感じたら、「それ(自分が思っていること)は本当か」と疑ってみる。すると、そこに観念があることに気付く。
HSCが校内に2割。この数字をどう捉えるか。とても敏感な子がいるという認識があったとしても、「弱い子」「繊細な子」として、腫れ物に触るかのような対応に終始する場面を何度か見てきた。さらに集団になじめないとなると、特別支援学級や個別対応など「分ける対応」になってしまうケースもある。そうした対応は、本人の思いとは違うということを考えたことがあるだろうか。
教員を退職後、縁あって3カ月間、小学校へ。保健室をはじめ、職員室や廊下、体育器具庫などさまざまな場所に、教室にいられない何人もの子供の姿があった。安心できる場所、分かってくれそうな大人を求め、さまよっているようにも見える。今振り返ると、その子たちは皆HSCだ。
クラスにいわゆる「暴れる」子がいると、そこに目を奪われ、おとなしい子に意識が向きにくくなる。多くの教師が困り感を抱くのは、騒いだり立ち上がったり、教室から飛び出してしまったりするような子だろう。
今から20年前の5月のGW明け、登校した途端、歩くことも話すこともできなくなった小3の女の子がいた。その子の所属するクラスは前年度に学級崩壊を起こし、「暴れる」数人の男児に翻弄(ほんろう)されて、前の担任は3月末で退職。私が担任となった。
新型コロナウイルスの影響で当たり前の日常が変化し、学校のルーティンが崩れたことで、休校明けから明らかに相談が増えた。子供が抱えるのは漠然とした不安であり、学校や親からすれば明確な原因が見当たらないままの不登校。その大半はHSCと言われるタイプの子供たちだと思われる。
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