米国のインクルーシブ教育は、「違い」を重視することで、無理に「同じ」にこだわらず、結果としてさまざまな子供たちを包摂しやすいことを前回の連載で書きました。
前回、私が訪問した米国ニューヨーク州シラキュースの教室では、さまざまなレベルで「違い」が溢(あふ)れていると書きました。このことは、インクルーシブ教育の持つイメージや進め方にも影響を及ぼします。 端的に言えば、「『違い』が溢れていると、インクルーシブ教育のハードルが低い」ということです。
2015年4月から1年間、妻・子供2人(幼児・小学生)とともに米ニューヨーク州シラキュースという街で生活しました。40歳を過ぎて初めての米国です。英語もろくに話せないのに、日本人がほとんどいないという街で生活を始めました。いま振り返ると、かなり無謀だったと思います。
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