京都教育大学附属桃山小学校教諭
本連載ではこれまで、学びを「支える」授業づくりにおける教師の役割について書いてきました。皆さんが既に大事にされていたこともあれば、新しい発見もあったかもしれません。この連載を通して、読者の皆さんが自分なりに「次はこんなことを意識してみよう」「これを大事にしよう」と思うものを見つけたり考えたりすることにつながっていればいいなと思います。
子どもたちが中心となって学習を進められるようにするためには、手取り足取り説明したり、導いたりするのではなく、子どもたちに「任せる」機会を増やす必要があります。子どもたちが自分(たち)でなすがままに学んでいけるようにしたいものです。
「伝える」とは、教師の思っていることや考えていること、大事にしていることなどをきちんと相手に届けるということです。子どもたち一人一人が自律的に学ぶことや追究することを重視すると、「教師は何もしないのか」「教師は何も話してはいけないのか」などと勘違いされることがあります。
「つなぐ」は、一つ一つバラバラになっているものの「間に入ってつながりをつくる」働きを意味します。 もちろん、子どもたち同士や子どもたちと学習材などの間には、自然なつながりがあります。放っておいても、どんどんつながることもあるでしょう。しかし、そのままだとバラバラになってしまうこともあります。
「見取る」という言葉には「見て知る。見て取る」という意味があります(三省堂国語辞典第八版)。とてもシンプルです。想像していた以上にシンプルだったので驚きました。ただ、これくらいシンプルな方がいいなと思います。
「拾う」とは、放っておいたらそのまま捨て去られそうな思いや考えをきちんと受け止めるということです。子どもたちは、学習や生活場面で本当にいろんなことを考えています。その全てを受け止め切るのは、なかなか簡単なことではありません。
「きく」には「聞く」「聴く」「訊く」など、さまざまな漢字が使われます。この中でも私はよく「聴く」を使って表現します。なぜなら、相手の思いや考えをきちんと受け止めたいからです。
子どもたちのより良い学びを「支える」ためには、教師が事前にきちんと準備をする必要があります。私は「学習材についての理解を深める」「単元計画を立てる」「教師が何をすべきか、何ができるかを考える」「子どもたちがどのように学ぶか予想する」といったことを大事にしています。
2020年に『教師のいらない授業のつくり方』(明治図書)という本を出版しました。すごく刺激的なタイトルなので、「教師がいらないなんて言い過ぎだ」「教師は必要だろう」「そんなことはあり得ない」と思われた方も多いのではないでしょうか。
初めまして。このたび「学びを『支える』授業づくり」というテーマで連載をさせていただくことになりました若松俊介と申します。読者の皆さまと一緒に「より良い授業づくり」について考えていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
広告ブロック機能を検知しました。
このサイトを利用するには、広告ブロック機能(ブラウザの機能拡張等)を無効にしてページを再読み込みしてください