入試制度に関する議論をしていると、なぜかうらやましげに海外の話を引き合いに出すパターンが後を絶たない。私自身も社会学者の端くれではあるので、諸外国の入試制度には大いに関心があり、そこから何がしかのヒントを得ることは珍しくない。ただ、海外の制度を称賛する議論においては、ほとんどその国の社会的文脈を無視していることが多い。
英語の民間試験導入の議論の中で、不安視されていたことの一つとして、「障害のある受験生への配慮が適切になされるのか」という点があった。これまで大学入試センター試験では、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、その他さまざまな障害に対してなんらかの対応がなされてきていたが、それと同じことが各民間試験団体でできるのかという疑問であった。
本連載の第1回で、高校の普通教育的な側面と大学の専門教育との間には本質的なズレがあり、学力の3要素のようなものでは簡単につながらないという趣旨のことを述べた。「高校で学んだことを大学入試でも万遍なく見てほしい」というニーズがあることは理解できるが、大学入試にそれを全て載せていくと、いろいろな矛盾が生じてくる。
日本の大学入試制度について考える場合、「学力試験の一発勝負」というイメージが先行しがちである。「接続答申」とも呼ばれる2014年12月の中教審答申でも、「18歳頃における一度限りの一斉受験という画一化された条件において、知識の再生を一点刻みで問う問題を用いた試験の点数による客観性の確保を過度に重視」する「従来型の『公平性』の観念」が批判されている。
前回の「主体性評価」の議論では紙幅の都合で触れなかったが、今回はICTと入試の関係を考えてみたい。というのも、この主体性評価をICTの技術を用いて推進しようというのが、当初の文科省の方針であったからである。具体的に、導入中止となった「JAPAN e-Portfolio」(JeP)というシステムのことである。
今回の入試改革は三つの柱があると言われてきた。一つ目は本連載の第2回で触れた大学入学共通テストへの英語民間試験の導入、二つ目が第3回で取り上げた記述式問題の導入、そして三つ目が主体性評価システムの導入であった。今回は、三つ目の主体性評価について考えたい。
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