本連載ではこれまで「歩いて、たくらむ」というテーマで書いてきたが、「歩く」というのは実際に外を歩くことだけを意味しない。あれこれ考え、生きてゆく道筋を歩むことも含まれる。何かを探索しつつ、あちこち寄り道しながら生きてゆくことが「歩き、たくらむ」ということなのだ。
日々の不思議を面白がれる人になることこそ、探究する学びの担い手に最も必要なことである。ところが、教師の方たちと話をしていると、この点が最も伝わりにくい部分だと感じる。
本連載ではこれまで、児童生徒に対する関わり方について述べてきたが、最も重要なポイントが残されている。それは教師側のマインドだ。見えない成り行きを追い求めるプロジェクトにおいて、従来の「教師」としてのマインドは捨てなければならない。
課題など簡単に見つからなくて当たり前。とはいえ、ただじっと座って考えていても、何も浮かばない。まずは、実際に歩いてみたり、なんとなくの思いつきを気楽に語ってみたりする。そのうちに、追いかけてみたいことが浮かんでくる。
子供は幼い頃から、大人に「褒められたい」「認められたい」という気持ちが強い。大人の顔色・思惑を察して行動し、発言しようとする。年齢が上がれば、同級生の目も気になってくる。自分だけ浮いてしまうような意見を言って目立ちたくないという心理が働き始める。これはプロジェクトの遂行を妨げるマインドセットである。無邪気に自分の思い付きを言えなくなっていく小学高学年から中・高生と共に、探究を始めるにはどうしたらよいだろうか。
前回、どのように「変」を面白がれるようになるかが探究の課題だと述べたが、実はもともと私たちは子供時代は「変」が大好きで、むしろ「変」なのを喜び、面白がっていた。年齢が上がるにつれて、いつしか好奇心にふたがされ、「変」と思われるのを恐れるようになるが、幼児や小学校の低・中学年ぐらいまでは、自分が面白いと思ったことを素直に発見できる。
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