先生の幸せ研究所代表取締役
江戸時代の教育学者、細井平洲の言葉に「人の子を教育するは菊好きの菊を作る様にはすまじく、百姓の菜大根を作る様にすべきこと」というものがある。菊好きは、理想的な好みの形を目指して育てる。百姓は形や大きさにかかわらず「おいしくなあれ」と育てる。最近は、自身が「菊好き」なのでは、と悩む先生たちによく出会う。菊好きから百姓への転換の難しさも、非常に多く見聞きする。
ごはんが食べられた。家族や友人がいる。空が青い。日常が脅かされず安心。自分らしくいられる――。世界幸福度ランキング上位のコスタリカの人々は、「平和」をそう語った。その平和は、人権と自由が尊重されているからこそで、学校教育のおかげなのだという。日本でもある学校で、「多数決をしない合意形成」に参加したことがある。今思えば、それこそが「平和」作りに通ずる体験だった。
不登校の現状や教員の休職状況からは、数字に表れない場合も含め、潜在的に違和感を抱えながら過ごす子どもや先生が大勢いることがうかがえる。一見すると大きな問題はなさそうだが、本人も無自覚のまま、心に麻酔を打ちながら学校に行っているようなことが、子どもにも教員にも起きていないだろうか。今一度「少ないことの豊かさ」や「緩めることの良さ」について考えてみたい。
私は主に学校の働き方改革のために、学校や教育委員会に数多く関わっている。関われば関わるほどに、学校の内外で双方向の寛容な文化の醸成が必要だと感じる。学校が自分たちの裁量のことであっても業務改善に躊躇(ちゅうちょ)しがちな理由は、「失敗したくない」という不安がほとんどだ。「駄目なら戻したっていい」と自分に寛容になれると、失敗も吸収しながらむしろ前に進んでいく。
広告ブロック機能を検知しました。
このサイトを利用するには、広告ブロック機能(ブラウザの機能拡張等)を無効にしてページを再読み込みしてください