勤務時間外に行った業務は労働基準法32条が定める労働に当たり、残業代が支払われないのは違法だとして、埼玉県内の公立小学校に勤務する教員が埼玉県を相手に約242万円の支払いを求めていた裁判(埼玉超勤訴訟)の控訴審で、東京高等裁判所は8月25日、一審のさいたま地裁の判決内容を支持し、原告の教員側の訴えを棄却する判決を言い渡した。判決を受けて原告の田中まさおさん(仮名)は「私たち教員の仕事は勤務時間内では終わらない。この事実から目をそらして、行政が認めようとしないから先生たちが病んでいく。教員になりたいと思う人がいなくなる。教員は間違いなく時間外勤務をさせられている」と述べ、最高裁に上告する意向を表明した。
「不当判決」を訴える原告側支援団体の学生ら
公立学校の教員は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)によって、①生徒の実習②学校行事③職員会議④非常災害など――のいわゆる「超勤4項目」を除き、通常業務では時間外労働をさせることができないとされ、時間外勤務や休日勤務の手当を支払わない代わりに給与月額の4%に相当する教職調整額を支給することが定められている。
しかし、今回の裁判で原告側は、勤務時間外に校内に残り、長時間勤務をしている業務には、超勤4項目以外のものも含まれており、この状態は1日8時間を超えて労働させてはならないとしている労基法32条に違反していると主張。時間外労働に対する割増賃金(残業代)の支払いを定めている労基法37条に従って残業代を支払うべきだとし、これが認められなかったとしても、1日8時間としている法定労働時間を超えて労働を強いられていることに対しては、国家賠償法上の損害賠償請求ができると訴えていた。
これに対して、昨年10月に下された一審判決では、「教員が自主的・自律的な業務を行い、勤務時間外に及ぶこともあることから、超勤4項目だけでなく、それ以外の業務も含めた時間外勤務の超過勤務手当に代わるものとして、その職務を包括的に評価して教職調整額が支給されている。これを踏まえれば、給特法が超勤4項目以外の業務の時間外勤務について、教職調整額のほかに労基法37条に基づく時間外割増賃金の発生を予定していると解することはできない」と、原告側の請求を棄却したものの、原告側が提出した勤務時間外の業務の一部は労基法32条の労働に当たると判断。
▽校長の職務命令に基づく業務が日常的に長時間にわたり、時間外労働をしなければ事務処理ができない状態が常態化している▽校長に労基法32条に違反するという認識があって、業務の割り振りなどの必要措置を怠ったまま、法定労働時間を超えて働かせ続けている――といったことが明らかな場合は、国賠法上の損害賠償が認められるとした一方で、原告の場合は、法定労働時間を超過したのは最大でも月15時間未満であり、この条件に当てはまらないとした。
判決内容を不服として原告側が控訴した二審判決では、教員の業務は自主的で自立的な判断に基づく業務と校長の指揮命令に基づく業務が日常的に混然一体となって行われており、正確に峻別することは「極めて」困難であると、教職の特殊性を強調。一審判決をほぼ踏襲し、原告側が訴えていた残業代の支払いと損害賠償請求のどちらの主張も退けた。
記者会見で、裁判を通じて訴えてきたことを語る田中まさおさん(仮名)
判決後、傍聴者や記者団に対し田中さんは「裁判長が何を言っているか自分には分からなかった。私は時間外勤務をさせられている。私たち教員の仕事は勤務時間内では終わらない。これは事実だ。この事実から目をそらして、行政が認めようとしないから先生たちが病んでいく。教員になりたいと思う人がいなくなる。日本中どこでも時間外勤務をさせられている。事実を事実として認めるのが裁判の原則だ。私は東京高裁に判断を委ねたが、事実を事実として認めない以上、裁判長の判断は誤りだとするしかない。私は判決を最高裁に委ねる」と怒りをあらわにし、最高裁への上告を即決したことを報告した。
一方、判決を受けて埼玉県教委は「本日の判決については、県の主張が認められたものと考えております」との髙田直芳教育長の談話を発表した。
判決後に文科省で行われた記者会見では、田中まさおさんと代理人弁護士に加え、一審で原告側の主張を補強する意見書を提出した髙橋哲(さとし)埼玉大学准教授も同席。髙橋准教授は「教員養成の担当教員として多くの学生を学校現場に送っている私の立場からしても、非常に問題を含んだ判決だ。地裁判決の法律判断で指摘した点について、ほとんど答えていない。まさに不当判決だ」と批判した上で、「原判決をそのまま認定するのは問題だったが、今回の控訴審では原判決が行った法律判断を事実上、高裁が判例法理化する役割を果たした」と指摘した。
髙橋准教授によると、労基法32条の労働時間の上限規制に関しては、給特法が適用される教員が業務をした時間は労基法上の労働時間には該当しないというのがこれまでの判例であり、学説上も教員の労働時間と民間の労働者の労働時間は違う基準があると言われてきたという。しかし、今回の裁判では一審、二審を通じて、労基法上の労働時間の基準は労働裁判のリーディングケースとされる「三菱重工長崎造船所最高裁判決」で示された、労働時間は使用者の指揮命令下にあるかを客観的に判断することが適用され、給特法下の教員の時間外の業務についても、労基法上の労働時間に該当する場合があると認定した。
髙橋准教授は「超勤4項目以外は全て自主的・自発的な行為で、労働時間ではないと文科省はずっと言ってきたわけだが、その中に労基法上の労働時間が存在することを改めて控訴審が認めたことで、この労働時間概念が判例法理化されたのは非常に大きな意義を持っている。給特法は無定量な労働を課す法律になってしまっていると言われているが、給特法は『定額働かせ放題』ではないということだ。タダ働きを合法化するロジックとして文科省が使っている『自主的・自発的な行為』という概念自体を正面から否定している」と強調。
また、2019年12月に成立した改正給特法で位置付けられた、公立学校教員の超過勤務時間の上限を1カ月45時間、年360時間以内とする指針についても、「今回の判決は、月45時間までタダ働きさせられていて、これが毎月のように恒常化されていたならば、それ自体が国賠法上、違法になり得るという視点も示している。改正給特法の下で行われている働き方改革の施策自体が違法状態にあるとも言える。そのままでは合法とは言えない施策の枠組みを地裁、高裁で判例法理化したのは、文科省に対して非常に大きなけん制になる」と話す。
埼玉超勤訴訟はメディアでも大きく取り上げられ、学生を中心にした支援団体が立ち上がるなど、教員の長時間労働が社会問題として捉えられるきっかけの一つとなった。
8月23日の午後2時前には、判決を直に聞こうと東京高裁には多くの人が並び、90人が定員の傍聴席に対し、86人が駆け付けた。
その中には、会社員を辞めて、現在は中高の社会科の教員免許を取得するために大学で学んでいるという30代男性の姿もあった。その男性は「家庭も子どももいながら教員を目指しているので、一番の懸念は働き方。労働環境が改善されないままでは、教員になりたくてもなれない。ツイッターで裁判のことを知って、今日は時間を作って判決を見届けようと思った。今の教員の長時間労働の違法性が認められることに期待したい。これをきっかけに、仕組みや制度を変えていければ」と話していた。
その望みは最高裁の判断に託されることになった。
記者会見で代理人の江夏大樹弁護士は、最高裁で何を新たに争点にしていくかについて、「一番分かりやすいのは憲法14条違反。ここで比べられるのは私立学校教員との間で、私立学校の教員は労働時間に該当し、給料が与えられるにもかかわらず、なぜ公立学校教員は与えられないのか。それは給特法の解釈適用が間違っているからだ。もう一点は、労働条件を法律で定めるとしている憲法27条2項違反。労基法に基づいて働く人はその権利を有しているのに、なぜか教員は無賃の労働を強いられている。これは人権違反ではないか。もう一つは憲法23条の教育の自由。そういったものを根拠に、私たちは憲法問題でもしっかり戦えると思っている」と話し、憲法違反を切り札に訴え続けていく考えを説明した。