オリンピアンでなければ伝えられないことがある――。1996年のアトランタ大会で、陸上競技の走り高跳びに出場した岩倉高校(東京都台東区)の野村智宏教諭に、オリンピック・パラリンピック教育(オリパラ教育)の価値を聞いた。教師になってからも五輪を目指し続けた野村教諭は、子供たちに残すべき2020年東京大会のレガシーは「形ではなく記憶」と語った。
日本オリンピック委員会(JOC)が主催するオリンピック教室の講師として、他のオリンピアンと共に各地の中学校で授業をしています。
授業は、1時間目が実技、2時間目が座学という構成です。実技では、オリンピック・バリューを理解してもらうため、チームで支え合うことやルールを守ることの大切さを実感するゲームを体験してもらいます。
オリンピック・バリューは、オリンピックを目指すアスリートだけでなく、日常生活や学校行事の中など、身近な場面で私たちが発揮すべき価値と言えます。オリンピックは決して非日常のイベントではなく、日常と密接に関わっている価値観の中にあるのです。
ただ、私自身がアトランタ大会に出たとき、そうしたバリューを意識していたかと言えば、そうではありません。教師としてオリパラ教育に関わるようになって、そういう見方ができるようになりました。きっと、多くのオリンピアンがそうではないでしょうか。
アトランタ大会に出たときの私は、オリンピック出場を本気で狙っていたというよりは、たまたま日本選手権で優勝して、標準記録もクリアしていたので、大舞台に立たせてもらったと言った方がいいかもしれません。そのため、本番では初めての海外遠征ということもあり、準備不足がたたって予選落ちでした。記録も日本選手権のときより低かったです。
ただ、あのオリンピック独特の雰囲気は今でもはっきり覚えています。朝から観客席は満員で、観客はどの選手にも目を向けています。うまく跳べれば拍手してくれるし、失敗すれば一緒に残念がってくれる。あの競技場の一体感は他の国際大会にはありません。
それをもう一度味わいたかったし、何より本番で自分のパフォーマンスを最大限出し切れなかった悔しさもあり、大学卒業後、実業団を経て、教師になってからも競技を続け、オリンピックを目指しました。教師をしながら競技を続けられたのは、職場である学校の理解が大きかったです。
教師になろうと思ったのは、将来も陸上競技にずっと携わっていきたいと考えたからです。
自分が競技を続けられたのは、周囲の理解やサポートがあったおかげだと思っています。そのことを生徒にも感じ取ってほしくて、指導している陸上競技部では、1~3年生まで、実力の有無などに関係なく、部員全員が大会の補助役員として、準備や片付けをするようにしています。
選手にいい結果を出してもらうのは、自分自身が結果を出す以上に難しいのですが、指導の場面では絶対に嫌々やらせることだけはしないと決めています。やっぱり、彼らが心からその競技をやりたいという気持ちが大切です。楽しくなければやりがいがないですから。
自分の国でオリンピック・パラリンピックが開かれることは、そうめったにありません。そのときどう行動するかが大切です。その行動とは、実際に競技を見たり、ボランティアとして参加したりすることに限りません。何かしら自分のできることを無理せずにやればいいのだと思います。そのときの行動はきっと、一生に一度の大切な経験になると思います。
オリンピックやパラリンピックのレガシーとして何を残すかが課題となっていますが、きっとそのレガシーは、インフラや記録などの形あるものだけではないはずです。私は、子供たちが一生に一度の経験をしたという記憶こそ、オリンピック・パラリンピックの一番のレガシーだと思います。
野村智宏(のむら・ともひろ) 岩倉高校教諭(保健体育)。日本大学3年生だった1996年に、第26回アトランタ大会で陸上競技の男子走り高跳びに日本代表として出場。大学卒業後も競技を続け、2009年に引退。現在は同校陸上競技部顧問として後進を育成する傍ら、JOCが主催するオリンピック教室の講師として、各地の中学校でオリンピック・バリューを伝えている。