教員も制服や校則の問題に声を上げてほしい――。制服を着ない自由を認める「制服の選択制」を求めたネット署名は、約2カ月あまりの間に約1万9000筆が集まるなど、学校の校則問題を改めて考えさせるための契機となった。3月26日に文科省に署名と要望書を提出した、岐阜県の公立高校に勤務する西村祐二教諭は、これまでも「斉藤ひでみ」の筆名で給特法の見直しや1年単位の変形労働時間制に反対する署名を展開し、学校の働き方改革の議論に一石を投じてきた。西村教諭に今回の署名活動への思いを聞いた。
まず、僕自身が感じていたこととして、勤務している高校では昨年、コロナ禍で私服での登校を認めたのですが、これが学校にとってとても良かったのです。今まで、生徒は制服をきちんと着なければいけなくて、教員も身だしなみ指導をしなければいけなかった。みんなどこかで「高校生らしさ」「先生らしさ」を押し付けられていたのです。
しかし、いざ制服がなくなると、靴下の色がどうだといったような身だしなみ指導も自然となくなりました。そうしたら、教員も生徒もみんな学校が過ごしやすくなった。そんなことを名古屋大学の内田良准教授と話しているうちに、コロナ禍でそういう学校のルールが緩和されている今だからこそ、元に戻さないためにも社会に発信していくことが大事なのではないかとなり、今回の署名を始めました。
給特法の見直しや変形労働時間制への導入反対の署名活動を始めたきっかけは、同じ職場で倒れる同僚が何人も出ている状況に、目を背けられなくなったからです。
学校で子供たちを教えたいのに、学校に来られない。それと同じことが、子供たちにも起こっています。
この署名活動を通じて、制服がどうしても嫌で、ジャージならば学校に通えるのに認められず、不登校になってしまったという中学生と知り合いました。また、そういう子供がいることは知っていて、本音ではジャージ登校を認めてあげたいけれど、校長が認めてくれないと嘆く教員の声もありました。制服や学校のルールが原因で、学校に行きたくても通えない子供が存在しているのです。
精神疾患で休職せざるを得ない教員は年間約5500人います。学校の決まりが原因で不登校になった子供も、小学生から高校生までで5500人以上います。
教員も子供も、学校に行きたくても行けない現状があるという意味では、問題の根は同じだと思います。
休校が終わって、学校が再開したとき、僕は学校に行けることがこんなにうれしいことなのだと改めてかみしめました。みんなが元気に安心して学校に集まることができる。これが何よりも優先されるという教育活動の原点を、多くの人がそれまで忘れていたのではないでしょうか。
僕自身、学校に行きたくても行けない子供たちの問題がここまで根深いとは思ってもいませんでした。LGBTQや感覚過敏など、言葉では知っていても、本当にリアルな問題だとは認識していなかった。一教員として、そのことを今ではとても反省しています。
制服や学校のルールによって学校に来られない子供がいるのなら、無理に学校に来させたり、排除したりするのではなく、学校が変わらなければいけないのです。
校則が、校長の裁量と権限で決まっているという面が大きいと思います。子供の人権を侵害するようなルールがあるのなら、変えていかなければいけないし、校長はルールによって子供たちに制約を課すことに対して、抑制的であってほしいと思います。しかしながら、公立校では多くの校長は3年くらいしかその学校にいないので、校則を変えることはリスクでしかないのです。その結果、多くの学校で現状維持が続きます。
この解決策として、今回の署名では、文科省に対して、人権侵害や人格否定、心身の健康を害するような校則やルールは即刻廃止するよう、全国の教育委員会に通知してほしいと訴えました。これは校則をどうするか議論する以前の問題で、これによってブラック校則のかなりの部分は一掃されるはずです。
その上で、校則の成立要件や校長の権限、改正プロセス、許容されない校則といった校則の原理原則を、ガイドラインなどで示すべきだと要望しました。
過熱化していた部活動は、ガイドラインが出たことによって全国的に見直されるようになり、改革が進んでいます。しかし、現状では、あまりにも拠り所がなさすぎる状態にあるのが校則です。ガイドラインを作るとなれば、おそらく文科省で有識者会議を開くことになるでしょう。それをきっかけに、社会的な議論が巻き起こることも期待しています。学校の働き方改革のときのように、文科省には校則の問題でも、社会と学校のつなぎ役を果たしてほしいのです。
実は、僕の頭の中には、二の矢、三の矢のアイデアはないんです。でも、この署名を通じて、各学校で校則や制服の見直しについて、ぜひ教員も声を上げてほしいと思います。
これまでも校則の問題は、生徒や保護者あるいは弁護士といった方から疑問の声が上がっていましたが、教員からの声はほとんどと言っていいほどなかった。教員にとって、校則や制服の問題は声を上げにくいのです。
だから今回、僕は現職の教員として声を上げました。きっとこの署名で、勇気を持ってくれた教員が少なからずいるはずだと信じています。
コロナ禍に慣れて、服装を緩和した学校の多くがまた元に戻ろうとしています。その流れを止められるのは教員です。教員が動かなければ、誰もが自分らしく、安心して過ごせる学校はできないのです。多様性が大事だと教えていながら、一方では誰もが同じ恰好を強いられている。そんな日本の学校の「隠れたカリキュラム」は、もういい加減、終わらせましょう。