2月24日午前5時、爆撃が始まった――。ウクライナから避難してきた大学生と日本の中高生が語り合う「平和サミット」が今、全国各地で開かれている。企画したのは福岡県筑紫野市の国際バカロレア認定校リンデンホールスクール中高学部の生徒ら。8月9日、東京都渋谷区の日本経済大学渋谷キャンパスで開かれたサミットには、約50人の中高生が参加した。「ウクライナと学ぶ」第4回では、この「平和サミット」で語られたウクライナの大学生が体験した戦争のリアルから、戦後77年目を迎えた日本の子どもたちが平和をどう考えるかを探る。
廃墟となった家、燃えてしまった校舎、銃撃された車の残骸。次々にスクリーンに写し出されるウクライナの街の姿を前に、中高生で満員になった会場は静まり返っていた。この日のサミットでウクライナの現状を話したのは、福岡県太宰府市に本部のある日本経済大学が受け入れている3人のウクライナ人学生。2年前からキーウ国立言語大学と提携していた同学では、ロシア軍の侵攻が始まって間もない3月、日本国内でいち早くウクライナからの避難民学生の受け入れを表明。現在は約70人のウクライナから避難してきた学生が在籍している。
ウクライナの伝統文化やロシアとの歴史的な関係について解説した後、3人の学生はロシア軍が侵攻を開始した2月24日午前5時からの日々を英語で語り始めた。
「大きな爆発音とサイレンで目が覚めた。私はまだ眠かったが、友人が窓辺に駆け寄り『戦争が始まった』と叫び始めた。そのうわさはすでに飛び交ってはいたけれど、実際に始まるなんて私は全く信じていなかった」
ウクライナの首都、キーウで友人らとアパートで下宿生活を送っていたスヴィトラナ・レジコさん。すぐに逃げる準備をしようとスーツケースに急いで荷物を詰め込んだが、すでにスーパーには人があふれかえっていて何も商品が置いていなかった。列車の切符も取れず、友人の兄が車で助け出そうとしてくれたが、渋滞がひどくてたどり着けなかった。全く身動きが取れない状態になり、マットレスを廊下に置き、いつでも逃げ出せるようにスーツケースをすぐそばに置いて寝ることにした。
スヴィトラナさんにはロシアに住む親戚がいるが、最初はウクライナとロシアの間で戦争が始まったことを連絡しても信じてもらえず、何度もニュースを送って、やっと事態の深刻さに気付いてもらえたという。
地下鉄や地下道には大勢の人が避難生活をしており、サイレンは鳴りやまず、何人かの人は護身用にナイフを持っていた。「恐怖はあった。しかし、友人に精神的な障害があったこともあり、自分の怖いという気持ちを隠して、友人を安心させることが第一だった」とスヴィトラナさんは緊張の日々を振り返る。
その日を自宅の寝室で迎えたマリア・コルネヴァさんは、爆撃機が空を飛ぶ様子を今でも動画に残している。
「私たち家族は一つの部屋に集まり、ニュースを見たり、ネットの情報を探したりして、状況を把握していたが、飛行機が飛んでくる音や大きな音がするとすぐに地下の部屋に逃げ込んだ。1時間ごとに親戚や友人に『大丈夫か』と聞いていた。日がたつにつれ、家が揺れるようになり、戦争がだんだん近づいていることを感じた」(マリアさん)
マリアさんが暮らしている村には軍事施設などはない。しかし、ロシア軍がキーウに迫ってくると、ロシア軍が途中の村々を破壊しているという情報が入り、祖父母も連れて避難を開始した。今ではロシア軍もその地域から撤退したため、一度は隣国のポーランドに避難した家族も国内に戻っている。
「ポーランドに避難できた後も、飛行機や大きな音がするととても怖かった」と、マリアさんは戦争が心身に与える影響の大きさを訴えた。
戦争が始まったとき、父が出張していて、母と2人で何とかするしかなかったというカテリナ・マニコフスカヤさん。住んでいる地域には軍事施設はなく、爆撃の目標にはならないだろうと考えていたが、テレビで民家に爆弾が落ちている映像を見たとき、その考えが甘かったことを痛感し、思わずその場で泣き崩れてしまったという。
「私にとっても、家族にとっても、将来にとっても、人生の終わりだと思うしかなかった」とカテリナさん。家には地下室がなかったため、ガレージにある車の修理用のスペースで寝ることにした。湿度が高く、狭くて真っ暗だが、そこしか逃げる場所はなかった。やがて出張から戻ってきた父親を見て、カテリナさんはある変化に気付いた。そこには、15年間やめていたタバコを吸う父の姿があった。それだけ、ショックとストレスにさいなまれていたのだ。
「ロシア兵が私の故郷に迫っているというニュースを聞き、故郷に残る余地がなくなった。私たちはすぐに荷物をまとめ、逃げる準備を始めた。そして、私たちが出発した1時間後、私の故郷はロシア軍に占領された。1カ月にわたる占領の間、男性、女性、子どもにかかわらず拷問や誘拐があり、誰も家から外に出ることができなかった」(カテリナさん)
語り終えた後、3人は中高生に次のように投げ掛けた。
「戦争について話すことはものすごく大事だし、話すことによって、『戦争は二度と繰り返してはならないこと』を忘れることはないと思う。今となっては、沈黙は犯罪と同じだ。みんなが黙っていることで戦争のもたらす意味が薄れてしまう。より多くの人がこの問題を話し合えば話し合うほど、解決策を見つけたり、助けを求めたりでき、加害者を罰することができると信じている」
その後のディスカッションでは、日本の中高生からもさまざまな質問が飛び交った。
「支援としてウクライナ側に武器を供給することは、かえって戦争を長引かせるのではないか」「全ての国が核を放棄したら、平和になるか」「日本にはどんな支援を求めているか」「戦争が終わった後、どんな外交が必要か」
こうした問いに、ウクライナの学生も、日本の中高生も、お互いの意見を聞きながら、さらに自問自答を重ねていた。
中高生を代表して登壇していた明星学園中学校3年生の望月明さんは「7月に修学旅行の事前学習で沖縄戦について学んだ。住民が被害にあっているウクライナの状況はよく似ている。今日の話を聞いて、ロシアの人たちにも話を聞いてみたいと思った。もし日本で、ウクライナとロシアの人がお互いに思っていることを話し合える場があったなら」と、自分に何ができるかを考え始めていた。
このサミットは、日本経済大学の本部キャンパスに隣接するリンデンホールスクール中高学部の生徒が、同学のウクライナから避難してきた学生の戦争体験を聞いたことをきっかけに発案。全国の中高生と彼らの語りを通じて戦争や平和について考えを深めたいという思いから、有志の生徒によるプロジェクトが立ち上がった。サミットは7月18日に開かれた福岡を皮切りに、8月14日までに鹿児島、東京、広島、沖縄を巡る。その交通費や会場費は、クラウドファンディングで調達。有志の生徒が手分けして開催地の近隣の学校に資料を送付するなどして、参加者集めに奔走したという。
有志の代表で、この日のサミットでは司会や通訳を務めた高学部3年生の都築マリ彩(マリア)さんは「画面越しではなく、目の前にいる人が戦争の経験を話すことで、現実の出来事として伝わる。日本の中高生も決して戦争や平和について関心がないわけではない。そういう場があれば自分の考えを話すはずだ。日本だってずっと平和が約束されているわけではない。今、平和のために何ができるかを若者が考えるきっかけになれば」と力を込める。