埼玉超勤訴訟が問う教員の働き方 給特法は悪法なのか?

埼玉超勤訴訟が問う教員の働き方 給特法は悪法なのか?
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 教員が勤務時間外に実質的に働いている状態は労働基準法32条に違反しているとして、埼玉県内の公立小学校に勤務する教員が時間外労働に対する残業代の支払いを同県教委に求めた裁判(埼玉超勤訴訟)の二審判決が8月25日、東京高裁で下される見込みだ。一審判決では、原告の田中まさおさん(仮名)の訴えは退けられたものの、田中さんが行っている業務の一部は労基法32条の労働に当たると認定するなど、これまでの教員の超勤訴訟にはない進展を見せた。原告が控訴したことで、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)の下での、教員の労働を巡る新たな論点が問われている。一審・二審でそれぞれ、原告側の主張を法的な観点から補強する意見書を提出した、教育法学が専門の髙橋哲(さとし)埼玉大学准教授と労働法学者の毛塚勝利元中央大学教授に、今回の裁判のポイントを尋ねた。残業代を支払うことなく教員を働かせ続けることができるとして批判されている給特法だが、実は、田中まさおさんは給特法そのものを否定していない。給特法は本当に悪法なのか。給特法を悪法にしたのは誰なのか――。

残業の一部は労働時間と認めた一審判決]

さいたま地裁での一審判決(昨年10月撮影)
さいたま地裁での一審判決(昨年10月撮影)

 公立学校の教員に適用される給特法では、①生徒の実習②学校行事③職員会議④非常災害など――のいわゆる「超勤4項目」を除き、通常業務では時間外労働をさせることができないとされ、時間外勤務や休日勤務の手当を支払わない代わりに給与月額の4%に相当する教職調整額を支給することが定められている。これまで文科省は、超勤4項目以外で教員が時間外に行っていることは「自発的行為」であり、残業代を支給しないとの解釈を貫き、教員の時間外労働の違法性が争われた過去の裁判でも、時間外労働が教員の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ、しかもそれが常態化している場合や、校長によって強制的に特定の業務を命じられたことが明確な場合でなければ、時間外労働やそれに見合う残業代の支給は認められないとされ、原告の教員が敗訴してきた経緯がある。

 しかし、埼玉超勤訴訟では、超勤4項目を除いて時間外労働をさせることができないとされている給特法以前の問題として、教員が勤務時間外に校内で長時間勤務を行っていることは、1日8時間を超えて労働させてはならないことを定めた労基法32条に違反していると主張。超勤4項目以外の教員の仕事によって時間外労働がされているのなら、それは労基法上の労働時間に当たり、教職調整額とは別に労基法37条に基づく割増賃金を支払うべきだとし、仮に37条が適用されなくても、法定労働時間を超えて労働を強いられたことは国家賠償法に基づく損害賠償請求が認められるはずだと訴えた。

 その結果、一審のさいたま地裁が下した判決では「教員が自主的・自律的な業務を行い、勤務時間外に及ぶこともあることから、超勤4項目だけでなく、それ以外の業務も含めた時間外勤務の超過勤務手当に代わるものとして、その職務を包括的に評価して教職調整額が支給されている。これを踏まえれば、給特法が超勤4項目以外の業務の時間外勤務について、教職調整額のほかに労基法37条に基づく時間外割増賃金の発生を予定していると解することはできない」と、原告の主張を退ける一方、「校長の職務命令に基づく業務が日常的に長時間にわたり、時間外労働をしなければ事務処理ができない状態が常態化している」「校長に労基法32条に違反するという認識があって、業務の割り振りなどの必要措置を怠ったまま、法定労働時間を超えて働かせ続けている」といったことが認められた場合は、国家賠償法による損害賠償責任を負うとし、原告側が証拠として提出した50項目以上にわたる仕事内容の詳細なリストについても精査の上、その一部は労働時間に当たると判断。しかし、法定労働時間を超過したのは最大でも月15時間未満であり、直ちに健康や福祉を害する恐れのある時間外労働に従事させられたとは言えず、社会通念上受忍すべき限度を超えるほどの精神的苦痛を与えているとは言い難いとして、損害賠償は認められなかった。

当たり前のルールで審査すべき

一審の意見書で教員の時間外労働が労基法32条に該当するか司法判断を求めた髙橋准教授(本人提供)
一審の意見書で教員の時間外労働が労基法32条に該当するか司法判断を求めた髙橋准教授(本人提供)

 この一審の裁判の中で、公立学校の教員の時間外勤務の特例を定めた給特法で適用を除外しているのは、時間外労働に対して割増賃金を支払うことを規定している労基法37条のみであり、まずもって、労基法32条が規制する労働時間に該当することを司法が認定すべきだとの意見書を提出した髙橋准教授は、この意見書を基に、さいたま地裁が時間外労働の一部を労働時間と認めたことには一定の評価をする。

 しかし、損害賠償が認められなかったことに対しては「無銭飲食をしたけれど損害は軽微だから、『大したことないでしょう』と言っているようなものだ」と批判。「一審判決は労働時間の認定では前進した。サッカーにたとえると、前半は勝っていたのに、後半になると『手を使っていい』『ファールもしていい』とルールが変更され、いかなる請求も認められず大負けしたようなものだ。そういう意味で、二審の東京高裁は改めて、一審が行った法律判断が正しかったのかどうか、当たり前のルールに則って改めて審査をしてもらいたい。そうすれば、時間外労働が認められた事実を放置していいという判断にはならないはずだ」と話す。

 東京高裁で二審の裁判が進んでいる傍ら、大阪地裁では、大阪府立高校の現役の教員が、長時間労働で適応障害を発症したとして慰謝料などの損害賠償を求めた裁判の判決が言い渡され、適切な勤務管理を怠ったとして、校長の安全配慮義務違反と適応障害発症との因果関係を認定。府に対して損害賠償を支払うよう命じた。その後、大阪府の吉村洋文知事は控訴しない方針を表明し、判決が確定。教員の長時間労働に対する管理職側の責任が厳しく問われるようになるなど、潮目が確実に変わりつつある。

 この裁判と埼玉超勤訴訟の違いについて、髙橋准教授は「管理職が声掛けをするくらいでは、注意義務を果たしたことにならないとしたことは画期的だった。ただ、これは原告の教員が適応障害を患って、公務災害の認定を受けていたから認められた側面がある。過労死や精神疾患にまでならないと違法性を問えないのか。埼玉超勤訴訟は、精神疾患にならなくても、過労死しなくても、この働かせ方は違法だということを問うものだ」と指摘。「今、学校現場では一人一人の子どもたちとの丁寧なやりとりをする時間すらも確保できない状態にある。埼玉超勤訴訟は、こうした子どもとの時間を取り戻すということだ。そういう意味でこの裁判は、教員の長時間労働を巡る問題の本質を突くものだと思う」と話す。

 また、髙橋准教授は「上限指針が下りてきたが、実現するお金も人も付けられていない。この状況に校長ら管理職も困っているはずだ。その意味で今回の裁判では校長も原告になっていいのではないかと思うし、場合によっては各都道府県の教育委員会や教育関係者みんなが原告になって、『これだけリソースが足りていない』と、国に対して声を上げる訴訟だってできるだろう。実際に米国の教育財政に関わる訴訟では、教育委員会も原告に入って行われることもある。この裁判を契機に、そういった行政訴訟を展開していく可能性も十分に考えられる」と、この裁判を契機に、全国各地の学校関係者による教育環境改善に向けた公共訴訟に発展していく可能性を語る。

生活時間の観点に立った労働時間を考える裁判

 続く二審では、毛塚元教授による意見書が原告側から提出された。意見書では労働法学における議論から、長時間労働を単に健康や賃金の問題としてではなく、労働者が豊かな家庭生活や社会生活を送るための「生活時間」の確保を基軸に捉えていく必要があると指摘。国賠法上の損害賠償請求に関しては、原告の教員は過重負担によって肉体的、精神的な負荷が増大しただけでなく、家庭人や市民として健全な生活を送ったり、教員としての自己研鑽(けんさん)に充てたりする生活時間が侵害された損害も考慮すべきだとした。

 原告側の主張について毛塚元教授は「これまでは、時間外労働に対して残業代としての割増賃金を支払うことや、長時間労働による健康問題という『自分の問題』に焦点を当ててきた。しかし、時間外労働は生活時間の侵食にほかならず、結果的に、労働者が子育てを誰かに押し付けたり、地域コミュニティーを支える責任を放棄したりしていると見ることもできる。この裁判で原告が予備的請求とはいえ、労基法違反を理由に損害賠償請求をしたことは、割増賃金を支給しないことではなく法定限度時間を遵守していないこと自体の責任を問うもので、一歩進んだ争い方だ。特に、労基法32条の法定労働時間遵守義務違反を安全配慮義務ではなく生活時間配慮義務の文脈で理解させることになれば、その意義は大きい」と評価する。

 また、毛塚元教授の意見書では、2019年の改正給特法で指針として位置付けられた「在校等時間」の上限規制についても論理的整合性がないと批判する。その理由を毛塚元教授は「在校等時間は健康管理のための上限規制ではなく、自発的な業務を含めた上限規制で、しかも民間の時間外労働の上限と同じ数字を持ってきている。これを見れば労働時間規制だ。それなのに、自発的な業務は労基法の労働時間ではないとしているので、矛盾している」と説明。同じく改正法で導入された1年単位の変形労働時間制についても、「変形期間が長くなればなるほど、1日や1週当たりの時間数が増え、教員はずっと学校にいなければならず、生活時間は侵害される。教員の自律性を生かすのが給特法の趣旨とすれば、変形労働時間制は教員の労働時間を一律に縛るもので真逆だ」と指摘する。

二項対立になりがちな給特法の抜本的な見直し議論の危うさ

 この裁判と時期を同じくして、文科省は現在、2016年度以来6年ぶりとなる教員勤務実態調査を実施しており、この結果を基に、給特法の抜本的な見直しに向けた検討が行われることになる。給特法の抜本的な見直しを求め、現職教員や研究者らによる有志の会が始めたオンライン署名も4万筆を超える賛同が寄せられるなど、給特法が教育界だけでなく、社会全体の関心事となりつつある。

 この給特法の抜本的な見直しについて、髙橋准教授は「給特法を廃止して労基法に一本化するか、それとも、時間外労働をなくしていきつつ給特法を維持するか、そのどちらが良いかという二項対立で考えることは、議論の幅を狭めてしまう。日本政府が教育に金を払っていないという根本的な部分に目を向けるべきだ」と、今の議論の方向性にくぎを刺す。

 「給特法を廃止するだけでは教員の労働状況は改善されない。残業代が支払われるようになったときに、プラスの財源を用意するのではなく、今ある財源で賄おうとする可能性もある。そうなると、残業代をねん出するために教員の基本給が削られ、民間と同じように、生活を維持するために喜んで残業をやるということが学校でも起きるのではないか」と、髙橋准教授は警鐘を鳴らす。

 その上で髙橋准教授は「残業に対してどう対価を払うかではなくて、残業が起きてしまう事態そのものを改善しなければいけないはずだ。そのためには教員の数を増やす。義務標準法の改正による教員定数の改善が必要になる。また、自治体が教員の基本給を減らそうとするのを避けるため、教員の基本給の基準を定める法律が必要だ。基準法によって全国どこでも一定の給与が保障される仕組みがないといけない」と提案。さらに「教員の団体交渉権や団体行動権を回復しなければいけない。労基法の世界に行くのであれば、労基法の前提にある労働基本権を保障しておかなければ、ただ単に給特法を廃止して時間外に関するルールだけが民間と同じになるというだけではだめで、労働条件を改善していく手法としての団体交渉や団体行動を保障しないと、この問題は解決しない」と、働く側の教員の声を聞く仕組みをつくる必要性を訴える。

 「次々に出てくる新たな教育政策を自発的な業務として甘んじて受け入れてきた学校が、限界を超えてしまった。職員会議を校長の補助機関としたことで、自分たちがどういう仕事をするのか、意見表明もできなくなった。そして労働基本権もない。そうやって教員の口封じをしてきた結果が、今の多忙化をもたらしている。このことへの反省がないと、給特法を廃止したところで、教員の働き方は改善しない」(髙橋准教授)

給特法本来の趣旨を考えて運用すべき

給特法を廃止して労基法に一本化してもメリットがないと指摘する毛塚元教授(本人提供)
給特法を廃止して労基法に一本化してもメリットがないと指摘する毛塚元教授(本人提供)

 「給特法は超勤4項目以外に関して残業しないというのが原則だ。そうであるならば、残業代の支払いを求めるのではなく、残業が生じないように必要な要員の確保を求めていくのが筋だ」

 毛塚元教授はそう問題提起する。

 「給特法では勤務時間の割り振りによって時間外勤務をさせないことが想定されている。これは教員の職務の特性を踏まえて、もしその先生のその日の勤務が伸びたら、その分を前後で調整するといった自律的な働き方を尊重している。そういう個人的な調整ができない業務を超勤4項目に限定して、調整額を払っていると読むべきだ。給特法を悪者にするのではなく、給特法本来の趣旨を考えて運用すべきで、そう考えると、『自主的・自発的な業務は労働時間ではない』と教員職務の自律性を労働時間性の否認に結び付けて考える文科省の解釈がおかしいことも分かる」と毛塚元教授は解説する。

 しかし、現実には教員が抱えている業務量はひっ迫し、「自主的な業務」としての時間外労働が長時間発生し、勤務時間の割り振りといった調整すらも難しくなっているのが実情だ。これについて毛塚元教授は「時間外勤務についてその前後で調整ができないというのは、多忙で年休も取れないのと同じで、要員が足りないということだ。繁忙に応じて時間外勤務はあってもいいが、年間ベースで所定労働時間数に収まらない、つまり時間調整ができなかったときには、要員の補充や業務の整理などの対応策を講ずる年次協議の場をつくる必要がある」と提案する。

 「日本の労働生産性がずっと低いと言われてきたように、民間労働者も長時間労働だ。民間でできていないのに、教員が労基法の世界に戻っても改善されるとは限らない。自律的労働が増大した現在、給特法の世界が予定した勤務時間の割り振りという時間調整による時間外勤務の回避は、むしろ労基法の世界でこそ追求されてよい。給特法の世界が時代遅れなのではなく、時代遅れにしたのは、『自発的な業務は労働時間ではない』と、教員の職務の自律性を労働時間の個別調整可能性ではなく、労働時間性否認に結び付けてきた文科省の解釈だ」(毛塚元教授)

給特法は働かせ放題の法律ではない

 8月25日に東京高裁がどのような判決をするかはまだ分からないが、いずれにしても田中まさおさんの問題提起が、給特法と教員の働き方を巡る議論に一石を投じていることは間違いない。

 埼玉超勤訴訟は当初、田中さんが労働組合などからの支援も受け個人で始めた裁判だ。しかし、裁判が報道されるにつれて、田中さんを応援したいと教員を志望する学生らが中心となって支援事務局を立ち上げ、田中さんの訴えを漫画で解説するパンフレットを作成したり、クラウドファンディングで訴訟経費を集めたりするなど、草の根で支援の輪が広がった。

 判決を前にした8月20日、その支援事務局が主催するオンラインイベントに登壇した田中さんは「給特法を廃止あるいは改正しても、すぐには教員の長時間労働の問題は解決しない。それよりも、時間外勤務に対しては調整(勤務時間の割り振り)をしっかり行うことを守る。これが大事だ」と提言。「給特法は働かせ放題の法律ではない。給特法は人を苦しめるためではなく、人を幸せにするためにつくられている。それがなぜ人を不幸にしてしまうのか。実は、法律が人を苦しめているのではない。人を苦しめているのは人間。校長や教育委員会、文科省は、意図的に人を苦しめようとしているわけではないが、気が付かないうちに人を苦しめている。そのことに気付いてほしい」と呼び掛ける。

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