今、世界中が日本のサッカーに驚愕(きょうがく)のまなざしを向けている。中東のカタールで開かれているサッカーワールドカップで、E組の日本は11月23日に行われた強豪ドイツとの初戦を、2対1の歴史的な逆転勝利で飾った。続く27日のコスタリカ戦は0対1で負けてしまったが、終始積極的な攻撃を展開していた。特に今回、試合中のシステム変更や選手交代を大胆に実行するなど、森保一監督の指揮に注目が集まっている。森保監督をよく知る、元サンフレッチェ広島トップマネージャーの浅津伸行さんは、森保監督の人柄がチームとしての日本代表の強さを生み出したとみる。森保監督から掛けられた一言でマネージャーの仕事観が変わったという浅津さんに、スポーツ指導者や教師にも共通する、チームの信頼関係を築く森保監督の姿勢を聞いた。
「森保監督はドイツ戦に向けて相当準備していたと思う。誰もが優勝候補のドイツに勝てるわけがない、良くて同点だろうと思っている中で、本気で勝ちにいった。その決意が選手たちにも伝わっていたからこその勝利だ」
現在はサンフレッチェ広島を退職し、島根県でスポーツ用品店を経営する浅津さんは、ドイツ戦の印象を興奮気味に語る。浅津さんが注目するのは、選手らと森保監督の間の信頼関係に裏打ちされた、日本代表のチームとしての強さだ。
それがよく表れていたのが、試合終了後のインタビューでMFの鎌田大地選手が語った次のコメントだったという。
「あの前半のサッカーしたまま後半も終わっていたら、一生後悔するような内容。それをしっかり森保さんがフォーメーションを変えて、自分たちが果敢に勇気を持ってプレーできることが全てだった」
浅津さんはこの鎌田選手の言葉について「森保『監督』ではなく森保『さん』と呼んでいるあたりに、自分たちも感じていた前半の課題の対応策を森保監督が判断してくれたんだという、信頼感が凝縮されている」と分析。「森保監督はとにかく一人一人の選手やコーチたちとじっくり話をする。それは今も昔も変わっていない。きっと後半の思い切ったシステム変更も、多くの選択肢がある中で、選手やコーチとコミュニケーションして、ベストだと思えるものを決断し、チームで共有できていたから成功したのではないか」と話す。
サンフレッチェ広島でトップマネージャーとして選手らを支えてきた浅津さんだが、実はサッカー競技の経験はない。浅津さんが現役時代の森保監督と同じチームで過ごしたのは、浅津さんが駆け出しのマネージャーとして右も左も分からずに悪戦苦闘していたわずかな期間だ。日本代表としてあと一歩のところでワールドカップ初出場を逃す「ドーハの悲劇」も経験し、サンフレッチェ広島では中心選手として活躍した森保監督。そんなすごい選手であるにもかかわらず、ロッカールームで浅津さんが仕事をしていると「アサ(浅津さんのチーム内での愛称)、いつもありがとう」と、いつも気さくに声を掛けてくれたという。サッカーの競技経験がない新人マネージャーというだけで、チーム内では「大丈夫か?」と心配されることもあった浅津さんにとって、選手もスタッフも分け隔てなく話し掛けてくれる存在は、大きな心の支えになっていた。
しかし、翌年に森保監督は京都サンガF.C.に移籍。その後に行われた広島と京都のホームゲームで、広島が痛い黒星を喫してしまったことがある。試合終了後、浅津さんがピッチに転がる給水ボトルを拾い集めていると、古巣のサポーターにあいさつしようと戻ってきた森保監督が、浅津さんの姿を見つけてわざわざ駆け寄ってきた。
「アサ、負けて落ち込んでいるのは分かるけど、お前はマネージャーなんだ。こういうときだからこそ、お前が笑顔でいることが大事なんだよ」
「マネージャーとして常に笑顔で選手に接すること。負けて暗いムードのときこそ、笑顔で迎えて選手たちの気持ちを変えていかないといけない。あの一言で、チームに対して自分ができるのはこれだと気が付いた」と浅津さん。その後、浅津さんは「常に笑顔を絶やさないマネージャー」として、この姿勢を実践し、やがてチームのトップマネージャーに抜てきされた。森保監督も現役を引退後、サンフレッチェ広島のコーチングスタッフとして戻り、今度は同僚としてチームを支えるようになる。
「指導者になっても、森保監督は選手にもスタッフにも心から思っている言葉を掛けてくれる人だった。この人は自分のことを見てくれている。きっとチームの誰もがそう感じていたのでは」と浅津さんは当時の様子を振り返る。
サッカーの素人にもかかわらず、チームに欠かせない存在に成長した浅津さんが、サンフレッチェ広島を退職することになったのは2007年3月のこと。最後の横浜F・マリノスとの試合が終わったとき、選手たちが浅津さんをピッチに呼び寄せた。戸惑いながらピッチに上がってきた浅津さんの目に飛び込んできたのは、観客席に広がる大きな横断幕。
「浅津さん、7年間ありがとう」
寒空の下にはためくその言葉こそ、「常に笑顔を絶やさないマネージャー」を貫いてきた浅津さんに対する、選手やサポーターたちからのギフトだった。
現在、浅津さんはスポーツ用品店を営む傍ら、小学6年生の選抜野球チームで監督を務めている。「選抜といっても、もともと地域の競技人口が少ないから、やりたい子はみんな受け入れているけれど」と笑う浅津さんだが、改めて指導者の立場になって気付かされたことがあるという。
「もともと大人と子どもは目線の高さが違うし、子どもから『監督』と呼ばれたら、何だか偉くなったような気分についなってしまう。でもそれは危ない兆候で、戒めないといけない。このチームの主役は監督ではなくて選手である子どもたち。だから、ミスがあっても『何をやっているんだ』とか『どうしてできないんだ』といった言葉は絶対に言わないようにしている。保護者に対しても『選手が本当に良くやっているんですよ』と言うようにしている」と浅津さん。「それは、担任の先生と子どもたちや、部活動の顧問と選手たちの間でも同じでは」と問い掛ける。
「子どもたちが挑戦することの楽しさを味わうこと、その様子を大人がちゃんと見てくれていて、前向きな言葉を掛けてくれること。それだけで子どもは育っていく。言葉掛けのテクニックはいろいろあるけれど、大事なのはその子に声を掛けたいと心から思っているかどうか。気持ちがこもっていなければ、どんなにいい言葉でも伝わらない」と浅津さん。スポーツ指導者や教師といった子どもにとって身近な大人が、ちゃんと子どもたちをリスペクトし、感謝できているかどうかが、お互いを信頼し合っているチームをつくる第一歩だと語る。
インタビューの最後に、次のスペイン戦を、教師にどんな視点で見てほしいか聞いてみた。
「今の日本代表チームは、ゴールが決まった瞬間にベンチからみんなが駆け出してきて喜びを分かち合っている。みんなが信頼し合い、目的を共有して、結果が出たら心の底からたたえ合う。これからの試合も、きっとそんなシーンがたくさんあると思う。クラスでも部活動でも、『こんなチームをつくりたい』と思えたら、これまでのやり方にこだわらず、明日から積極的に変えてみてほしい」