トラウマインフォームドケア・上 子どもや自身の傷つきに気付く

トラウマインフォームドケア・上 子どもや自身の傷つきに気付く
野坂祐子氏
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 よく問題を起こす児童や生徒を叱りつけ、関係をこじらせてしまった経験がある人は多いだろう。トラウマインフォームドケア=「トラウマの知識を持って見る」ことができれば、子どもたちにより適切な対応をできるようになり、教員自身の心理的な負担や傷つきも軽減することができる。『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)の著者であり、大阪大学大学院准教授の野坂祐子氏に、なぜ学校現場にトラウマインフォームドケアが必要なのかを聞いた。(全3回)

特定の場面で問題行動が激しくなる子

――「トラウマインフォームドケア」とは、何でしょうか。

 インフォームドとは「知識を持っておく」「前提とする」ということで、トラウマインフォームドケアは「トラウマを前提にして見る」「トラウマの知識を持って見る」という姿勢やアプローチということになります。

 そういう知識がないと、トラウマの影響に気付けなかったり、気を引く行動を取る子を“かまってちゃん”などと誤解して対応したりすることになりやすい。そうすると、傷ついた子たちがまた傷つくし、支援が必要な子が支援を受けられないという問題が起こってしまいます。

 「ちゃんと気付いて、適切に対応しましょう」というのがトラウマインフォームドケアという姿勢、やり方です。よく「トラウマの眼鏡を使う」という例えを使います。

――「トラウマの眼鏡」で見る必要があるのは、例えばどんな子どもでしょう。

 学校でよくある例を2つ挙げます。一つは、いわゆる問題行動のあるタイプのお子さんです。すぐ暴力を振るったり、怒鳴ったり、先生に暴言を吐いたりする。落ち着いて座っていられず集団を飛び出してしまうことも多いので、「発達障害かな」というふうに見られていることもあります。

 ただ、いつもそうであるわけでなく、友達とトラブルになったときや、先生の指導を受けたりする場面でとりわけ行動が激しくなるのであれば、生まれ持った特性ではないかもしれない。トラウマの眼鏡で見ると、そういう子は家庭でずっと怒鳴られたり殴られたり、ネグレクトを受けてきたり、という背景があったりする。それが何年も前のことでも、先生に怒られたときにそれを思い出して怖くなり、不調を来すことがよくあります。

 そういう子ほど、大人を信用できるような働き掛けをして安心させてあげる必要がありますが、先生としてはやりづらい場面ですよね。つい、「やめなさい」から始まって、「どうして何度言っても分からないの」と怒って、子どもの行動が悪いと指摘しやすい。でも、子どもはどうして不調になったのか自分では分からないし、さらに「大人は分かってくれない」と感じる。あるいは、先生が「あの子は“かまってちゃん”だから」と言って放っておくと、その子はまたネグレクトを経験することになる。そうやって、先生と子どもの関係性も子どもの状態も、より悪化してしまうことがあります。

 なので、子どもの態度が気になるときは、叱る前に先生が落ち着いて「どうしたのかな」「もしかしたら、この子は不安なのかもしれない」と考える。子どもに何が起きているのかを理解しようとするのがトラウマインフォームドケアです。

 別に、子どものつらい過去の話を詳しく聞いたりしなくていいんです。トラウマインフォームドケアは、カウンセリングではありません。「やめなさい」と叱る前に、先生がちょっと落ち着いて子どもの様子を見られるようになるというものです。「叱るのは逆効果なんだな」と気付いてもらえたらと思います。

 これまでの生徒指導では、少なからず「先生がガツンと言えば、子どもは反省してやめるだろう」という前提があったのではないでしょうか。でもそれは通常でも不適切な対応であるばかりか、トラウマのある子にとってはことさら不適切で、火に油を注ぐような結果になりかねません。

見過ごされがちな「いい子」の苦しみ

――トラウマインフォームドケアが必要なもう一つのタイプは、どんな子ですか。

 いわゆる「いい子」「頑張り屋さん」のタイプです。家庭でずっと親の顔色を見て育ってきた。特にお母さんがお父さんから暴力を受けていたり、親がアルコール依存症だったりして、一生懸命お世話をする役割をしてきたヤングケアラーのような子は、どこでもその役割を取ります。いつも周りの子の面倒をみて、先生にも気を遣う。そういう行動も「トラウマの影響かもしれない」と気付いてもらえたら。

 もちろん、いい子で頑張るのはその子の強みでもあります。でも先生が、子どもが頑張らざるを得ない背景を理解せずに、「じゃあ頼むよ」ということばかり言っているとどうなるでしょう。自分の意思や気持ちが言えないままだと、自立していく時期になって、うまくいかなくなってしまいます。人の面倒は見られるんだけれど、自分の力で立つことができない。

 そういう「いい子」もトラウマの眼鏡で見られるようになると、先生の声掛けも変わりますよね。「『いやだ』と言っていいんだよ」とか「『つらい』と言っても大丈夫だよ」「『困っている』と言っても、全然恥ずかしくないんだよ」と。自分を大切にするために他者に頼ることは、生きる上で欠かせないスキルです。

――「いい子」タイプは、学校では見過ごされがちですね。

 そう。トラウマというと殴る、蹴るといった暴力を思い浮かべがちですが、常に家庭に緊張感があって、「いい子でいなくちゃ」と、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じることもトラウマになります。子どもの気持ちを無視することは「情緒的ネグレクト」に当たりますが、これは本人も周囲も気付きにくい。そういう家庭は一見、教育熱心だし、給食費もちゃんと払うので、ネグレクトとは思いにくいですよね

 思春期に性問題行動を起こす子どもの背景に、情緒的ネグレクトがあることも少なくありません。たいてい、おとなしく真面目なタイプの子どもなので、先生は「どうしてあの子が」と驚きます。他の子どもに対するわいせつ行為の背景にあるのは性欲だけではなく、「さみしい」「自信がない」「みじめ」といった気持ち。そうした気持ちをまぎらわすために、より弱い相手の体に触ったり、のぞいたり、言いなりにさせたり、といった暴力を起こすと考えられます。

 女の子の場合、さみしさから誰かに求められると、本当は嫌でも怖くて断れなくて、言いなりになってしまうことがあります。デートDVや性被害に遭うケースも多いでしょう。大人は「どうして別れないのか」「なぜSNSで知り合った人に会いに行くのか」と叱ってしまうわけですが、子どもをさらに追い詰めるより、子どものさみしい気持ちがなくなるようにしてあげる方がいい。それしかないんじゃないでしょうか。

――さみしい気持ちが、いわゆる問題行動を生んでいるのですね。

 そう思います。性被害を受ける女の子の中には、家庭でもずっと性被害を受けていて「これが愛されることだ」と思っていたり、あるいは「おかしい、嫌だ」と気付いても「自分には価値がない」と思い込んでいたりして、断れない子もいます。自分を大切にしてくれる相手ではなく、自分を傷つける相手とつきあってしまうことがあります。

 そんなふうに、家庭以外でも暴力的な関係性を持ちやすくなることを「トラウマティックな関係の再演」と言います。「対等な関係」や「大事にし合う関係」には不慣れで、「搾取される」「支配される」「誰かの慰み者にされる」という関係を繰り返してしまう。

 家庭で殴られて育った子が、学校でいじめっ子になる、というパターンもあります。家と学校で立場が逆ですが、支配的な関係になじんでいて「対等じゃない関係」でしかいられない。これも「トラウマティックな関係の再演」と捉えられるでしょう。

【プロフィール】

野坂祐子(のさか・さちこ) 大阪大学大学院人間科学研究科准教授。臨床心理士、公認心理師。博士(人間学)。専門は発達臨床心理学。お茶の水女子大学大学院修士課程修了、博士後期課程単位取得退学。2009年より大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンターに勤務し、大阪教育大学附属池田小学校における事件後のケアなどにあたった。13年より現職。主に学校や児童相談所、児童自立支援施設において、児童・少年の被害-加害の支援へと実践の場を広げる。著書は『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)、『保健室から始めるトラウマインフォームドケア 子どもの性の課題と支援』(共著、東山書房)、『性をはぐくむ親子の対話 この子がおとなになるまでに』(共著、日本評論社)ほか多数。

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