トラウマインフォームドケア・下 教員がすべきこと、しなくていいこと

トラウマインフォームドケア・下 教員がすべきこと、しなくていいこと
野坂氏
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 トラウマの知識を持って見る「トラウマインフォームドケア」。知識で半歩リードすることにより、子どもたちにより適切に向き合えるようになるだけでなく、理不尽な要求を繰り返す保護者にも対応しやすくなり、何より教員自身のメンタルを守ることもできるという。『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)の著者で、大阪大学大学院准教授の野坂祐子氏に、学校現場でトラウマインフォームドケアが有効な理由や、教員がすべきこと・しなくていいことを聞いた。(全3回)

相手のペースに巻き込まれない

――理不尽な要求を繰り返す保護者への対応においても、トラウマインフォームドケアは有効でしょうか。

 そう思います。保護者対応の研究をされている小野田正利先生とは、以前同僚だったときによくお話ししていましたが、私も小野田先生と同様、保護者の要求を「クレーム」と見た時点で、もう何も見えなくなってしまうと思います。

 一見理不尽に見える要求をしてくるお父さん、お母さんたちの多くは困っている。でも、人に頼る方法を知らないし、過去に学校で散々嫌な目にあっているので、最初から警戒・不信モードになっている。「ややこしい親」に見えるかもしれませんが、でもそれも半歩リードして落ち着いて見れば、「分かってもらえないと思って、こんなにキレているのかも」とか「要求が多いのは、『うちの子だけ損している』と感じているせいなのかな」などと分かってくる。それを受け止めて、冷静にちゃんと説明すればいいわけです。

 保護者が不満を抱くのももっともだと思えれば、先生も「ほんとに、思うようにいかないですよねぇ」「行政もカタイよね」くらいの共感を示しつつ、ねぎらいながら一緒に落としどころを見つけられるかもしれません。でも先生たちも最初から警戒モードになって、ガチンコ勝負になってしまいがちです。

――相手が警戒モードだと、ついこちらも釣られがちです。でもそこでトラウマの眼鏡で見られれば、向き合い方が変わるんですね。

 変わると思います。学校でも児童相談所でも、怒鳴り込んでくる親御さんがいますが、そういう方は内心、おびえているから相手を威嚇するし、声が大きくなっている。だから、こちらはそんなに怖れなくてもいいんです。

 相手のペースに巻き込まれずに、「今日はよく来てくださいましたね」とゆっくりと落ち着いたトーンの声で話をして、保護者の言い分をちゃんと聞いて、「それが納得いかなかったわけですね」などと話を整理していく。全ての要求に応じる必要はありません。そうすれば大抵、といったら言い過ぎかもしれませんが、少しは落ち着くと思うんです。

 攻撃的な人を「モンスター」と見て、ガーッと言われて、ガーッと言い返す、みたいになると、なかなかうまくいきません。そうではなく「困っているんだな」「ちょっと不器用だけれど、言いたいことがありそうだな」というふうに見ると、先生も落ち着いて関われるでしょう。

公平な「枠」を示すことが納得につながる

――落ち着いて聞くことが大事なのですね。

 ただし、ずっと聞けばいいというわけではありません。学校現場で多いのが、聞き過ぎるケースです。保護者から電話がかかってきたら、1時間でも2時間でも聞き続けて、ずっと怒りや不満をぶつけられてサンドバッグ状態になっている。これはちっともいいことではありません。先にお話しした「トラウマティックな関係性の再演」でいえば、先生が犠牲者になっているパターンですね。「ちょっと我慢して話を聞けば気が済むだろう」と思ってやりすごそうとしても、「再演」であれば繰り返されます。

 むしろ「教員はサンドバッグではない」とちゃんと示して、対等な関係に持っていく方がいいと思います。電話がかかってきたら、先生がちゃんと境界線を引く。「いろいろお話しされたいことがあるんですね。申し訳ないですが、授業があるので20分だけお聞きします」と伝える。「まだまだあるんです」と言われたら「では、次はいつ」と約束して電話を切る。他の先生も、特に管理職も、一貫して「どこまでできるか、できないか」という境界線を伝える。

 こういった保護者は、小さい頃から枠や境界線がない中で暮らしてきたのかもしれません。ルールがなく「言ったもん勝ち」「ごねたもん勝ち」の中で育ってきたのであれば、「言えば何とかなる」と思って、ごり押ししてくる。いままでのやり方を取っているだけなんです。だから「いやいや、ここまでしかできません」と、ちゃんと線を引いて見せることは教育的な働き掛けといえます。最終的には家庭ともいい関係に持っていけると思います。

 もちろん、そのように応じたからといって、すぐには納得されないでしょう。今までずっとそのやり方で通してきたわけですから。でも「どの家庭にも、こうしています」ということがちゃんと伝われば、最終的には「公平である」という点には納得してもらえます。ごり押しに応じていると、結局「他のやつらにも、こうやって便宜を図っているんだろう」と捉えられて、さらに不信感の種をまいてしまう。

 教員がサンドバッグになってしまうと、子どもが進学した先の学校も困りますよね。「前の学校の先生は聞いてくれたのに」から始まり、家庭と学校の関係が最初から悪くなる。相手の言いなりになる学校の態度は、自分たちの首を絞めることにもなっていると思います。

――学校がそういう線引きをせず、サンドバッグになりやすいのはなぜでしょう。
 
 一つには怖いからだと思います。人は恐怖があると迎合してしまいます。これも一種のトラウマ反応です。現実から目を背けて相手の言いなりになるか、にこにこ笑って取り入ろうとする、となるのは普通のことなんです。

 あとは、先生たちは優しくて熱い思いがあるから、冷たい行動を避けてしまうのでしょう。嫌われたくない、というのもあるかもしれません。それでもやっぱり、暴力の問題には「正義」や「公平」の価値がとても大切です。ちゃんと線を引いて、みんなに公平でいられるようになることで、学校の安全性が高まります。

「これだけできれば上出来」と考える

――トラウマインフォームドケアを知ると、先生たちはどう変わるんでしょうか。

 最初のうちは、先生自身が傷ついていることには気付かないことが多いと思います。自分が傷ついたと気付くのは、すごくつらいことなので。先生であれば特に、職業人としてスキルがないかのように思えてしまって、傷つきを感じないようにしがちです。

 でもトラウマインフォームドケアを学んで、職場でお互いの話をすると、「傷ついているのは自分だけじゃなかったんだと分かった」ということを、多くの先生がおっしゃいます。先ほども言いましたが、みんな自分の傷つきを「恥」だと思っているんですね、自分が生徒のひと言をいつまでも気に病んでいることを。でも、トラウマを抱える子どもは本当にきついことを言ったりするので、関わる先生が傷つくのはよくあるし当然のこと。それが分かるだけでも、安心する先生は多いと思います。

 さらに、その気持ちをみんなで分かち合うこと。「避難所、安全基地としての職員室」があると、よりみんなで感情を出し合って、励まし合い、支え合って、なんとか乗り切ることができます。

 ただ、先生がトラウマインフォームドケアを学んでも、そう簡単に子どもが変わるわけではありません。トラウマの影響は、そんなに簡単に薄らぐものではないので。でも、そのことを知っていれば「1年でこれだけ成長すれば、上出来」と思えます。

――児童や生徒が変わらなくても、先生の方が変わるわけですね。

 すごく変わりますよ。本当は、生徒もすごく変わっているんですけれど、通常の子が打てば響くように育っていくのに比べたら、微々たるペースに見える。そこで先生が子どもを評価する基準を変えることで、「これだけできれば上出来だ」と思えるようになる。

 先生たちは、目標が高過ぎるんです。ケース会議などに参加すると、生徒に「こうなってほしい」というゴールがすごく高い。1学期あるいは1年で「人間関係が上手になってほしい」なんて、非現実的でしょう。トラウマとなるような家庭環境で育ち、基本的な対人スキルが身に付いていない子にとって、それは異国の言葉や文化を覚えるようなこと。「そんなに高い目標を立てない」というのも、先生が燃え尽きないためのポイントだと思います。

 そのためには、学校はもっと、研修やスーパーバイザーを呼ぶ予算をつけて、先生たちを守る必要があると思います。たまにでも外から専門家が訪れて、「先生たち、よくやってますよ」とか「この目標は高過ぎる、これくらいで十分ですよ」などと言ってもらえると安心する。それなしに、ただ「頑張れ、頑張れ」と言われても、先生ももたないですよね。

「苦しい子がいるかも」という前提で

――いま、学校で「宗教2世」の子どもの問題も注目されています。どんなことに気を付ければいいでしょうか。

 教義によっては体罰もあるかもしれませんが、多くの場合、問題はやはり「情緒的ネグレクト」でしょう。子どもの思想、信条、意思、思いをネグレクトして、大人の言いなりにしている。子どもの主体性や考えが無視されているという、深刻な虐待状況といえるかもしれません。

 あえて「カルトの子どもを見る」というレンズを探さなくても、トラウマの眼鏡で見るだけでも、子どもへの関わりのヒントが見つかると思います。「子どもの環境が安全で安定しているか」「子どもの自由や権利が尊重されているのか」といった点に着目すれば、カルトの影響を受けた子どもも入ってくるはずです。

 そういうお子さんは、単一の考えにしか触れられていないところが大きな問題です。だから、学校で他の価値観が入ると、不安定になる子もいるかもしれません。家庭で教え込まれてきたカルトの信条と、学校で習う人権や自由、信仰の自由ということが相いれないので。

 先生はまず、「そういう両方の価値観の板挟みになって、苦しんでいる子がいるかもしれない」という目で見ていくことからスタートしてはどうでしょうか。そこからどうやって救い出すか、というのはまだ十分な体制もないし、本当に難しいことです。

――手に負えない部分は、専門家に任せる必要があるのですね。

 そうですね。先生たちは、教室で落ち着かない子や「いい子」を見たときに、「トラウマを経験している影響かもしれない」という目で見る、というくらいで構わないと思います。気になったら児童相談所や教育相談所にリファーする。そうしたら、あとは専門家がもうちょっと度の強い眼鏡で見て、段階的にアセスメントをしていきます。

 もし「トラウマの影響がありそうだな」と気付いたら、本人に「しんどかったんだね」と聞いてみる。ふてくされた顔をしていたら、「調子悪いんだね」という心身の状態に関心を向ける。そこから先のことは専門家に任せてください。そこで連携できるといいですね。

 先生がセラピストになる必要は、全くないんです。先生は先生でいていただいて、そこでトラウマインフォームドな教育を実践していただければと思います。

【プロフィール】

野坂祐子(のさか・さちこ) 大阪大学大学院人間科学研究科准教授。臨床心理士、公認心理師。博士(人間学)。専門は発達臨床心理学。お茶の水女子大学大学院修士課程修了、博士後期課程単位取得退学。2009年より大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンターに勤務し、大阪教育大学附属池田小学校における事件後のケアなどにあたった。13年より現職。主に学校や児童相談所、児童自立支援施設において、児童・少年の被害-加害の支援へと実践の場を広げる。著書は『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)、『保健室から始めるトラウマインフォームドケア 子どもの性の課題と支援』(共著、東山書房)、『性をはぐくむ親子の対話 この子がおとなになるまでに』(共著、日本評論社)ほか多数。

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