中教審による第4期教育振興基本計画(2023~27年度)の策定作業が大詰めを迎え、現在、パブリックコメントによる意見募集が実施されている。1月13日に公表された最新の審議経過報告では、いま学校で学ぶ子供たちが活躍する2040年以降の社会を想定し、教育政策の新たな基本理念として「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を掲げた。ユニバーサルな幸福度の指標として開発されたウェルビーイングに、「日本社会に根差した」という言葉を加えた狙いについて、教育新聞のインタビューに応じた中教審の渡邉光一郎会長(第一生命ホールディングス会長)は「日本は確かに協調性が強く出され、(海外に比べて)自己肯定感がどうしても低い。だが、協調的な幸福感が日本の強みでもあるので、これは大切にしなければいけない。この強みを温存させながら、世界で指摘されている自己肯定感を強める形での幸福感も強化して、全体のバランスを取ることが必要だと考えている」と説明した。
第4期教育振興基本計画の審議経過報告では、今後の教育政策の総括的な基本方針として「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を掲げた上で、日本の教育政策におけるウェルビーイングの考え方について概念整理を試みている。これらを巡る報告案の言葉選びや表現ぶりは、これまでの中教審部会の審議で何度も修正が重ねられてきた。まず、最新の審議経過報告における文言を確認したい。
それによると、「ウェルビーイングの国際的な比較調査においては、自尊感情や自己効力感が高いことが人生の幸福をもたらすとの考え方が強調されているが、これは獲得的な幸福を重視する欧米的な文化的価値観に基づくものであり、同調査によると日本を含むアジアの文化圏の子供や成人のウェルビーイングは低いとの傾向が報告されることがある」と、欧米とアジアの文化的な価値観の違いに言及。「しかし、わが国においては人とのつながりや思いやり、利他性、社会貢献意識などを重視する協調的な幸福感がウェルビーイングにとって重要な意味を有しており、獲得的幸福と協調的幸福とのバランスを取り入れた日本発のウェルビーイングの実現を目指すことが求められる。こうした調和と協調(Balance and Harmony)に基づくウェルビーイングの考え方は世界的にも取り入れられつつあり、わが国から国際的に発信していくことも重要である」と記述し、「日本発のウェルビーイングの実現」を打ち出した。
日本社会に根差したウェルビーイングの要素としては、「幸福感(現在と将来、自分と周りの他者)」「学校や地域でのつながり」「協働性」「利他性」「多様性への理解」「サポートを受けられる環境」「社会貢献意識」「自己肯定感」「自己実現」「心身の健康」「安全・安心な環境」などを挙げた。教育を通じてこれらを向上させ、その結果についてエビデンスを収集していくことを求めている。
ただ、教育を通して協調的幸福を目指そうとすると、組織や集団の中での同調圧力やいじめにつながり、弱者やマイノリティーへの配慮が損なわれてしまうとの懸念が出てくるかもしれない。こうした批判を先取りするかのように、審議経過報告では「協調的幸福については、組織への帰属を前提とした閉じた協調ではなく、共創するための基盤としての協調という考え方が重要である」と組織への帰属を求めているわけではないことを確認。「組織や社会を優先して個人のウェルビーイングを犠牲にするのではなく、個人の幸せがまず尊重されるという前提に立つことが必要である」と、組織や社会のために個人の幸せが犠牲になることがないようにくぎを刺している。
中教審会長として自ら教育振興基本計画部会の部会長も兼ね、議論の取りまとめにあたった渡邉氏は、「日本発」の表現を重視する理由を次のように説明した。
「なぜ『日本発のウェルビーイング』なのか。日本は確かに協調性が強く出されている。逆に自尊感情とか自己効力感、あるいは自己肯定感がどうしても低い。日本には、欧米と比べて、この違いがある。けれども、これはどちらがいいと分けるものではない。日本においては確かに自己肯定感を上げることに、もう少し力を入れなければいけない。だけど、『協調的幸福感』は強みでもあるので、これは大切にしなければいけない。従って、日本における『協調的幸福感』の強みを温存させて、世界のいろいろなところで指摘されている、ある意味では自己肯定感を強めるような形での幸福感も合わせて強化していくべきではないのか。私はこう考えています」
続いて、日本社会に根差したウェルビーイングの要素について、「多様な個人それぞれの幸せや生きがい、これが社会のウェルビーイングにもつながる。ここに挙げた要素のうち『幸福感』『学校や地域でのつながり』『利他性』『協働性』などは、日本的な要素かもしれません。だけれど、それだけではない。『自己肯定感』や『自己実現』といった要素も入れて、全体のバランスを取る。これが協調的幸福と獲得的幸福のバランスを重視するということです。まさしく日本発の調和と協調、Balance and Harmonyです」と説明。
さらに「令和の日本型学校教育」という中教審が強調してきたキャッチフレーズに触れ、「令和とは、Beautiful Harmony という意味だと思う。つまり、日本発のBalance and Harmonyは、日本の教育が目指すBeautiful Harmonyとも重なる考え方です。二項対立の陥穽に陥らない、バランスの問題だと言っているわけです」と、バランスを重視する考えを繰り返し強調した。
ウェルビーイングを文化的価値観の違いを背景に「獲得的幸福」と「協調的幸福」に分けて捉えるという考え方は、「日本発のウェルビーイング」を打ち出した審議経過報告の基本的なスタンスになっている。これは内田由紀子委員(京都大こころの未来研究センター教授)が昨年7月12日の第4回会合で説明した研究成果がベースになった。
経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で生徒への質問紙で聞いた結果などによると、日本では、「自己有用感がある子供の割合」や「人生に意義や目的を感じている子供の割合」が他のOECD諸国に比べて相対的に低い。こうした自己肯定感の低さは、児童生徒だけでなく、教員にも同じ傾向がみられることがOECDの国際教員指導環境調査(TALIS)で分かっており、日本の教育政策の課題となってきた。
内田氏は中教審部会の席上、日本特有の文化的価値に基づいてウェルビーイングの定義を考えることの重要性を指摘。北米などでは個人の自由と選択、自己価値の実現と自尊心、競争などを通じて社会を豊かにするという信念(獲得的幸福感)が見られるのに対し、日本では他者とのバランスや平凡でも安定した日々を求める人並み志向、回り回って自分にも幸せがやってくるという信念(協調的幸福感)があると説明した。そして、協調的幸福感の尺度を使うと、日本と他のOECD諸国の平均値がだいたい同じになることをデータで示した。
渡邉氏に、こうした研究成果を踏まえ、日本の教育政策の新たな基本理念に、文化的価値観の違いに基づくウェルビーイングの捉え方を反映させた理由を尋ねたところ、力強い答えが返ってきた。
「日本がこういうバランスを取る幸福感、ウェルビーイングを打ち出していくことは、世界にとっても必要なことです。なぜならば、世界にはとんでもない格差と分断が起きてしまっている。これは日本から見たら異常です。(格差と分断の広がりには)新自由主義的な要素が影響したとも、あるいは強烈な個人主義で育ってきたことが影響しているとも思います。そこに何が足りないのかと言えば、日本が今まで大切にしてきた利他性とか、協調的幸福感です。世界には、これが必要なのです。だから、『日本発のウェルビーイング』とすべきなのです」
ウェルビーイングは、幸福度をGDP(国内総生産)のような単一の指標で捉えることへの批判から、生活の質や物質的条件を包括したユニバーサルな幸福度の指標としてOECDを中心に開発された。そのOECDの加盟国は、欧米の先進国が多数を占める。渡邉氏は「今までの歴史の中で、経済界も学界も、日本が駄目で、いわゆるグローバルスタンダードみたいのが良いものだとして、それを採用しますか、それに従いますか、という選択肢を迫られてきた。これをやっている限り、日本は成長できない。これからは日本もルールメイキングから世界に関わる努力をしなければいけない。日本のウェルビーイング研究者たちは、日本の中で言っているのではなく、世界のルール作りに入っていかなければ駄目です。世界のルールに日本が大切にしてきた要素を入れてあげることが、世界の本当のウェルビーイングにつながる」と続けた。
「こういう思いがあるから、『日本発』なのです。OECDが作っているウェルビーイングの概念だけが正しいわけではない。バランスを取らなければいけないのは世界であり、日本はそれに貢献しなければいけない。そういう思いをこの『日本発』に入れています」
そもそも文化的価値に引き寄せながら、教育政策の基本理念としてウェルビーイングを位置付けていく中教審や文科省のアプローチについて、ウェルビーイングを世界共通の指標として「学びの羅針盤」(Learning Compass)に盛り込んだOECDはどのように受け止めるのか。気になったので昨年10月3日に行われたオンライン記者会見で、OECDのアンドレアス・シュライヒャー教育スキル局長に聞いてみたことがある。
突然の質問だったが、シュライヒャー氏からは「ウェルビーイングには、ある文化に特定の側面はあるかもしれないが、ウェルビーイングの概念そのものはユニバーサル(普遍的)なものだと考えている。OECDは国際的な比較評価を行っており、子供に対して教育を通して社会的な、そして情動的なスキルを身に付けさせることは普遍的に重要なもので、世界共通のものがあると認識している」と、淡々とした答えが返ってきた。
こうしたシュライヒャー氏の説明を聞くと、OECDによるウェルビーイングという幸福度の指標は、本質的にユニバーサルな価値観として設定されていることが分かる。そこに児童生徒も教員も自己肯定感が低いという国際比較調査の結果に悩まされている日本が、文化的な価値観を背景とした幸福感の違いを提示しようとする試みにみえるが、そうした中教審や文科省のアプローチがどこまで世界とかみ合うのか、判然としない。
教育政策の基本理念として実現を目指すウェルビーイングの中に、日本の文化的な価値観を背景とした「協調的幸福感」を位置付けることについては、弱者やマイノリティーへの配慮という観点から懸念を示す声もある。教員養成を担っている藤川大祐千葉大教授は、教育新聞電子版の昨年12月1日付オピニオン欄で「『協調的幸福』が幸福とされる傾向があったこれまでの日本は、ジェンダーギャップ指数が先進国最低レベルであり、性的少数者の権利保障も遅れているなど、『協調』の名の下で誰かに犠牲を強いる社会であったと考えることも必要である。これまで日本で主流だった幸福感に対して、文科省はもっと批判的であるべきだ」と、厳しく指摘した。
こうした懸念の声があることについて、中教審はどう受け止めているのか。渡邉氏に率直に聞いてみた。
「日本の教育に足りないのは、自己肯定感とか自己実現の観点であって、それらをもっと強調しなければいけないのではないか、というご指摘だと思います。足らざるものは、確かにそうです。だけど、日本が全部駄目で、海外がいいかというと、そんなことはない。日本と世界では格差や分断のレベルが違うではないですか。これを築いたのは、日本の教育です。このことに、日本はもっと誇りを持つべきだと思います。もちろん、日本にとって自己肯定感が課題であることは間違いない。だから、『協調的幸福感』と自己肯定感や自己実現による『獲得的幸福感』のバランスを重視する方向性を打ち出した。そう理解していただきたい」
多様性や社会的包摂の捉え方は、学習指導要領が重視している個別最適な学びとも密接に関係する。「協調的幸福感」における多様性や社会的包摂の位置付けについて、渡邉氏は、審議経過報告に盛り込まれたDE&I(Diversity、 Equity and Inclusion)に触れながら説明した。審議経過報告では「共生社会の実現に向けた教育の考え方」との項目で、「『多様性』、『包摂性』に『公平、公正』を加え頭文字を取ったDE&Iの考え方も重視されてきている」と記述している。
「これまでの日本の教育に『多様性』(Diversity)や『包摂性』(Inclusion)の要素が足りなかったことも、ご指摘の通りです。ただ、それらの要素は『日本社会に根差したウェルビーイング』に相反するものではなく、ウェルビーイング体系の中に組み込んでいくものだと思っています」
さらに多様性や社会的包摂を教育政策の理念に組み込むときには、DE&Iの要素に含まれている『公平、公正』(Equity)が重要になるとの見方を示した。
「DE&IのEは、Equity(公平、公正)であって、Equality(平等)ではありません。違いを認め、リスペクトし合って、お互いの個性を生かす方向に考える。そういう考え方の整理そのものがEquityです。個々の性質や性格も個性だし、ジェンダーも個性、障害も個性です。ところが、日本では、多様性や包摂性の説明をするとき、Equalityの話をしていることが多い。例えば、自転車と人の関係でみると、Equalityを強調し過ぎると、全員が同じ自転車に乗ることになってしまう。そうではない。大きな体の人は大きな自転車に乗るし、子供は小さな自転車に乗る。障害のある人、女性にはそれぞれに合った自転車がある。これが公平、公正だと思います」
「そう考えると、このDE&Iを入れていくことが、多様な個人のウェルビーイングの考え方には非常に重要になるし、社会全体のウェルビーイングにもつながっていく。そうやって、DE&Iはウェルビーイングの一つの構成要素になり、体系に組み込まれていくのだと考えています」
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中教審は1月13日に開いた教育振興基本計画部会で審議経過報告案を示し、文科省は同日、報告案に対してパブリックコメントによる意見募集を開始した。この結果や近く行う関係団体へのヒアリングを踏まえ。中教審は2月7日の部会で教育振興基本計画の答申素案を提示し、3月中に最終的な答申をまとめることを予定している。
※インタビューは22年12月22日に行った。
=おわり