中教審の「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」の下に設置された、「義務教育の在り方ワーキンググループ」は1月24日、第4回会合で、論点整理に向けた議論に着手した。今回の会合では、文科省が①義務教育の意義②学びの多様性――の2つの観点から、これまで委員から出された意見を集約。多様な人々とどう共存するかを学び社会の分断を防ぐ、自分の学びに主体的に取り組む力(学びに向かう力)を育成する、特性に応じた必要な支援があるなど、義務教育の担う役割や、多様な子供たちに向き合うために必要なことなどを巡り、活発な議論が行われた。
今回提示された意見のまとめでは、①義務教育の意義については、「多様な人々とどう共存するかということを学べる場である。多様性の保障と同時に、社会の分断を防ぐ機能が学校には求められる」「学び続けていくためには、自分の学びに主体的に取り組む力の育成が必要」「過度な同等同質神話から抜け出せるかが重要」「学びの中で、相互の弱さやがんばりというものを承認し、誰かが助けてくれるという信頼感のある学級づくり、教室の中の支持的風土の醸成によって、相互作用のある学びや思考の深まりが可能になる」といった観点を取り上げた。
他にも「教師の業務を減らす、デジタル化を進める、制度をより柔軟にしていくなどの対応が必要。例えば、業務補助や特別な支援が必要な子供たちに対する、さらなる人的支援などのリソースの確保、教師のシフト勤務制などの柔軟な勤務の在り方などが考えられるのではないか」といった、教師の労働環境に関する意見も取り上げた。
②学びの多様性の観点からは、「個別最適な学びと協働的な学びと一体的な充実を通じた、主体的・対話的で深い学び」を具体化していく上で、▽授業や単元を通じて何を目指すのか、子供たち自身が見通しを持てていること▽授業の中で、子供自身が選択することができる機会を持てていること▽教師の役割が、ティーチャーからファシリテーターへと変革し、子供に学びを委ねつつ、ICTの活用などにより、助けを必要としている子供を随時見つけ、支援することができること――などが重要だとする意見を盛り込んだ。
また、そうした取り組みを実現するためには▽学校教育目標や目指す子供像を踏まえ、なぜこの取り組みを進めるのかといったビジョンや、最後は校長が責任を持つので失敗してもよい、ということを繰り返し教職員に伝え対話していること、チャレンジする教員を全面的に支援するなど、校長のリーダーシップが発揮できていること▽どのような取り組みをしようとしているのか、教師がイメージを持てていること▽教師同士の情報共有や、互いに授業を参観し合うなど、連携・協働があること――などが重要になるとした。
他にも、「社会の分断の防止や格差の是正という学校の役割を踏まえ、多様性という名の下で個人の放置とならないように留意する必要がある。子供自身が他者と関わり、ケアする能力を身に付け、教員からケアされるだけでなく、自分たちで、自分と他者のニーズに応答する公正な社会をどう築いていくかを考えることが必要」といった意見を取り上げた。
義務教育の意義について、秋田喜代美主査代理(学習院大学文学部教授、東京大学名誉教授)は「学校で6年間、3年間の教育目標を立てて、学年ごとにバトンを送りながら教員がチームになって、教育課程の下で資質能力を育てていくということは、義務教育が最も大事にしたいところだ。長期的な視点に立たなければ育てられない資質能力の育ちを見取り、それを育んでいくことができる」と指摘。
一方で「学級担任と子供の相性や、学級の雰囲気によっては、不幸にもそれによって学校に行けない子供ができたり、自分の意見を自由に言ったり、相談や心配事などでの不安を語ったりすることができない子供がいることも事実だ。学級担任一人が、学級をその先生のカラーで染める『学級王国』の発想から、むしろ先生が学年でチームになるとか、子供が学年でいろいろ相談しやすい先生に相談できるような仕組みを考えていくこともまた、学級王国を解放していくためには重要な部分ではないかと思う」と語った。
貞廣斎子委員(千葉大学教育学部教授)は「(義務教育の意義という)大前提についての議論が必ずしも十分になされず、どちらかというと自由進度学習のような、具体的な教育方法の定着をいかに行うかという議論に、全体的な重心が置かれていた印象がある。公教育、義務教育の役割を考えると、個人の成長の側面だけではなく共生社会や民主主義社会を支える市民を育成するという視点や、社会発展や持続性を支える人材の育成といった公的な観点も大変重要だ」と指摘した。
また、柏木智子委員(立命館大学産業社会学部教授)は「学校は、子供たちにとって安心できる居場所であり、守ってくれるとりでとなるべき。特に困難を抱える子供は、向き合ってくれる他者を求めている。誰もが認められ、他者や社会に対して基本的信頼を持ち、困った時には必ず誰かが助けてくれる、違いに意味があり、自分は社会の中で何かができる、希望を持ってよいと思える関係性を多く作る、そういう社会を作っていくことで、個人の尊厳と社会のウェルビーイングを保障することが、学校の役割だと思っている」と述べた。
さらに、荒瀬克己委員(独立行政法人教職員支援機構理事長)は「増やすことと減らすことを考えていく必要がある。やはり抜本的に教員の数を増やし、教員1人当たりの児童生徒の数をいかに減らすかを考えなければ、何をしようと思ってもできないのではないか。日本型学校教育は全人的な教育を重視してきたというが、こうした幅広いことを今後も本当にやっていくのか。学校の中で何ができて、何ができないのかということを明らかにしていく必要があるのではないか」と問題提起した。
奈須正裕主査(上智大学総合人間科学部教授)は「近代学校には社会の分断を防ぎ、格差を是正し、平等や公正を実現する機能が当初から期待されていた。日本は今日でも平等性が高い水準で実現されていると、国際的に評価されているし、引き続きこれは大切にする必要がある。令和答申で、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実が言われているが、まさにそれを目指して提起されたものだという理解が大切。分断を生み出すような学びは個別最適な学びではなく、同調圧力を生み出すような学びは協働的な学びではない」と指摘。
さらに「幼稚園では全てのものは開示されていて、子供たちの選択や判断に委ねられている。ところが小学校に入った途端、『手はおひざ、お口チャック』、先生が尋ねたことに、手を挙げて、先生が当てたら答えなさいというシステムに代わる。これがどうも、いろいろな悪さをしているのではないかと思う。なぜ幼稚園でできるかというと、子供が全て有能な学び手だと信じているから。これを小学校以降、僕らが信じるかが問われているのだろうし、そこを信じて任せて、支えていけば、学校は楽しい場所になるし、分かる場所になる。不登校の問題は難しいが、学校に来られる子供は当然、増えるのではないかと思う」と述べた。