【ウクライナと学ぶ】戦争から魅力へ 学生らがパンフ制作

【ウクライナと学ぶ】戦争から魅力へ 学生らがパンフ制作
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 突然のロシア軍による侵攻で始まったウクライナでの紛争は、間もなく1年を迎える。紛争が長期化する中で、戦争以外のウクライナのことも知ってもらいたいと、日本に避難してきたウクライナ人留学生と日本人学生が立ち上がった。武蔵野大学で日本語を学ぶリリア・モルスカさんたちは、昨年秋からウクライナの歴史や文化、観光地など、ウクライナの魅力を紹介したパンフレットの制作を開始し、間もなく完成する。パンフレットの制作に携わったリリアさんと同学グローバルコミュニケーション学科4年生の菊地里帆子さんに、パンフレットに込めた思いを聞いた。

ウクライナの若者の意識を知ってもらいたい

 「ソ連時代に教育を受けた人は、ウクライナはソ連の一部と考えがちだけれど、ウクライナの若者は、ウクライナはロシアとは違う別の言語や文化を持っているという意識が当たり前になっている。そうした今のウクライナのイメージを分かってもらいたいと思った」

 パンフレットをつくろうとしたきっかけを、リリアさんはそのように説明する。

 ウクライナの首都キーウから南に80キロほど離れたビーラ・ツェールクバで生まれ育ったリリアさんは、キーウ国立大学で日本語を学び、2019年に一度、関西地方を訪れたこともある。ロシア軍が侵攻してきた昨年2月、大学にいたリリアさんは、すぐに故郷に戻り家族と共に友人を頼って隣国のポーランドに避難した。その後、再びウクライナに戻ったが、ウクライナの学生向けに日本への留学プログラムがあることを知り、9月から武蔵野大学ランゲージセンターに留学することになった。

 両親はウクライナに残り、東京で一人暮らしをしているリリアさん。「日本に来るのは私の夢だったけれど、戦争が起きたから留学できることになったということに対しては、悲しい気持ちもある。ウクライナの家族から長い時間連絡が来ないと心配になる。停電したからかもしれないし、爆撃があったのかもしれない。単に時差の関係かもしれない。どうして返事が来ないのかと本当に不安な気持ちになる」と、複雑な心境を語る。

パンフレットの編集作業にいそしむ武蔵野大学の勉強会のメンバー(同学提供)
パンフレットの編集作業にいそしむ武蔵野大学の勉強会のメンバー(同学提供)

 武蔵野大学では、ドナ・ウィークス国際センター長の呼び掛けで、リリアさんと日本人学生によるゼミ形式の勉強会が週に1回開かれることになった。その日本人学生の一人が菊地さんだ。菊地さんは留学生サポーターとして、来日直後のリリアさんの住民票の手続きなどを手伝っていた。「そのとき聞いたリリアさんからの話は、自分にとっても学びを得るものだった。リリアさんと週に1度、会話できる機会が設けられるならば」と、二つ返事で参加を決めたという。

経験を言語化することで知った共通点

 そうして集まった勉強会で、リリアさんの話を聞き、お互いの交流が進むうちに、ウクライナについて学んだことを形に残したいと、勉強会のメンバーでパンフレットを制作することが決まった。「ウクライナの観光ガイドだと、やっぱり旅行に行ってそこで楽しむのがメインになってしまい、その国を知ることには至らないと思った。今から自分が行く国がどういう文化を持っているのかを理解して、現地にも持っていけるパンフレットをつくりたい。それならば、全体を網羅できるようなものにしないといけない」と菊地さん。完成間近のパンフレットは、32ページの小冊子ながら、ウクライナの基本情報から、食事、行事、歴史、音楽、所縁のあるアーティストやスポーツ選手、観光地を、日本語、英語、ウクライナ語で解説。図書館にはウクライナに関する書籍が限られていたため、日本人学生が担当分野についてインターネットで調べ、リリアさんに情報の真偽を確認してもらうという作業を繰り返した。

さまざまなウクライナの情報を載せたパンフレット(同)
さまざまなウクライナの情報を載せたパンフレット(同)

 その作業を通じて、宮城県出身の菊地さんはリリアさんと自分のある共通点に気付いた。「調べたネットの情報が正しくないこともあった。そういうときはリリアさんがどう思っているかを大切にしたいと思った。私自身、東日本大震災で被災していて、被災した人が思っている感覚と東京の人が抱いている雰囲気は違うと感じていた。彼女の選んだ言葉で、『ウクライナってこういう国だよ』『こんなところが美しいよ』ということを聞けて、ウクライナの良さが明確に自分の手に落ちてきた」と菊地さん。「地元の友人の中には、今も当時の記録を見ることができない人がいる。リリアさんの話を聞きながら、自分の経験してきたことを言語化する価値が分かった」と振り返る。

 パンフレットに付けられた名前は、ウクライナ語でヒマワリを意味する「ソーニャシニク」。ヒマワリはウクライナの国花だ。「ウクライナ語でヒマワリは『太陽の花』という意味がある。日本語のヒマワリと意味が似ていて、面白いなと思って、これに決めた」とリリアさんは教えてくれた。

ウクライナへの「2歩目」を踏み出すきっかけに

 紛争が始まってから、もうすぐ1年。この間、リリアさんの人生観は大きく変わった。

 「戦争が始まったときは、今は21世紀だし、きっと早く終わるだろうと信じていた。でもそうはならなかった。私はコロナ禍の頃まで、死を知らなかったのだと思う。戦争が始まってから祖父と祖母が亡くなった。そんな経験を通じて私は大人になった。いっぱい経験をして、恐れがなくなるくらいまで頑張っている。一番変わったのは私だ。人に残された時間は少ないと分かるようになった。多くの人は安全なことは普通だと思っている。だからそんなに時間を大切にしていない。私も戦争の前はそうだった。でも今は毎朝起きると、『今日も頑張らないと』と思っている」(リリアさん)

 パンフレットは完成後、1000部を印刷し、大学内のほか、公共施設、ウクライナに関連した施設などに設置を依頼する予定だ。「ウクライナについて戦争以外のことを知らない日本の若い人に、一番に手に取ってもらいたい。パンフレットを読んで、ウクライナがいい国だと分かって、戦争が終わったらウクライナに行ってみたいという気持ちになってくれたら」とリリアさん。菊地さんも「日本人のウクライナへのイメージが、『戦争』というワードではなくて『魅力』に変わるといい。ウクライナについてニュースなどでちょっとは知っているけれど、その先は知らないという人が、『2歩目』を踏み出すものになれば」と期待を寄せる。

勉強会のメンバー。左から2人目がリリアさん、右端が菊地さん(同)
勉強会のメンバー。左から2人目がリリアさん、右端が菊地さん(同)

 現在は毎日のように大学に通い、日本語の勉強にひたむきなリリアさんには、いつかウクライナで日本語学校をつくりたいという夢がある。リリアさんは「紛争が起きる前は、ウクライナと日本はそこまで親しくなかったと思う。でも今、日本はヨーロッパの国と同じくらいウクライナを支援してくれている。戦争が終わったらきっと、日本とウクライナはビジネスなどで、国と国の関係はより親しくなると思う。ウクライナではアニメや日本の文化に興味を持ったことがきっかけで日本語を勉強する人が多かったが、これからは交流がもっと活発になって、日本語を学ぶモチベーションもさらに高くなるはずだ」と前を向く。

 「紛争が終わって、ウクライナへの旅行ができるようになったら、このパンフレットを持ってどこへ行きたいか」と菊地さんに尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「観光地で行ってみたいところはたくさんあるけれど、何よりリリアさんが育った故郷に行ってみたい。自分も『伊達政宗像を見たい』と言われるよりも、多分何もないけれど、『あなたの地元に行ってみたい』と言ってくれる方がうれしい。実際に私は、そうやって私の地元を訪ねてきてくれて、何かを受け止めてくれる友達がすごく多かった。だから私も、彼女の故郷に行って、何かを持ち帰りたい」

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